うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

まじっすか?と、今日の外食と、【それはちょうど、情動やはっきりした認知的目標によって焦点化された脳よりも、自動運動で空回りしている脳の方が、同時に起こっている主観的出来事をより大量に並列させるようなものである。】


 午後から違うメンバーで、ドライブに行ったら、こんな看板があり、びっくりしました!こんなに近くにこんな山があるって、まじっすか?という気持ちになりました(笑)。
でも、こんなん書いたら、余計に狙われるのでは?と、要らん心配をしてしまいました。



 お昼の外食は、2班に分かれ、マック組とすき屋組に分かれて、自分はすき屋組になりました!
晴君は、大好きなマグロ!美味しかったそうです!


 まっつんは、キムチ牛丼?辛そうでしたが、美味しい!と、めちゃくちゃ早く全量摂取されました!

 みっくんは、大盛りの牛丼!
自分は中盛りにしました(笑)。



 下記は、スターンのモーメントを分かり易く記述してくれています。

 『クライエントの心の動きの瞬間瞬間、面接でのやりとりの一単位を現在のモーメント present moment という用語で表現し、それが如何に活性化するかという観点から面接状況の分析を試みた。変化を促進する側面は、面接におけるそういった微細な関係性の進行や、言語以前のより原始的・非言語的なやりとりの中から生じると考えたのである。』 (佐藤:2016)

 下記は、難しいですが、この本を全部読んで下さいと言うしかないですね......。もっと自分が理解できていれば、分かり易く説明できるのでしょうが、今の自分には、文字通りでしかありません。

 モーメントの不連続から連続を見て行くと言うことでしょうか?その逆もあるのでしょうか?



 固着点を否定するスターンと思っていましたが、完全に否定ではなく、そのモーメント毎に見て行くと言うスタンスでしょうか?
 『あんな短い時間にあれほど多くのことが起こっていたこと。人は複数の時間枠と場所に、同時にいることができるということ。多くの行為が明らか思考や幻想や記憶によって引き起こされていたこと。逆に行為は心的出来事を明らかに引き起こすことができるということ。』 



 下記は、無意識とか、心的にとか言う問題なのでしょうか?
 『そして――最も印象的であったのは――そのモーメントをゆるやかに組織化する中心的テーマが現れたことである。このテーマは語り手にとってきわめて重要なものであり、また、たとえそれ自体がそのモーメントの中で体験されていなかったとしても、その人の人生で現在のところ優勢な関心事であった。』

原注1)は、ウィニコットの理論のように感じました。

 学べば学ぶほど、物事の深さを思い知らされます.....。それは、アートも音楽もそう思います。
明日は、カーグとバンドの日です!







 この瞬間を被験者の他の生活と結びつけるという試みはしなかった。それにもかかわらず、被験者は実に頻繁に両者の結び付けを行った。(たとえば、「今私はティーポットの話をしているけれど、もしかしてそれは、いつも人生のティーポットを覗き込んでいる私みたいじゃないかしら.......」)。それはすぐには止まらないけれども、そのモーメントと関連のない出来事との結びつきができるとすぐに、彼らは選ばれたモーメントへと戻ってきた。私が調べていたのは再構成されたモーメントであって、被験者の人生ではない。
 被験者も私も共にこのインタビューに魅力を感じ、いくつかのことに驚かされた。あんな短い時間にあれほど多くのことが起こっていたこと。人は複数の時間枠と場所に、同時にいることができるということ。多くの行為が明らか思考や幻想や記憶によって引き起こされていたこと。逆に行為は心的出来事を明らかに引き起こすことができるということ。そして――最も印象的であったのは――そのモーメントをゆるやかに組織化する中心的テーマが現れたことである。このテーマは語り手にとってきわめて重要なものであり、また、たとえそれ自体がそのモーメントの中で体験されていなかったとしても、その人の人生で現在のところ優勢な関心事であった。このようにして、朝食の光景は、決して平凡な出来事ではなくなり、この技法の臨床的可能性は明らかであった。〜





 原注1)もし強い情緒を伴うモーメント(肯定的なものであろうと否定的なものであろうと)について尋ねると、モーメントの豊かさは失われてしまう。それはちょうど、情動やはっきりした認知的目標によって焦点化された脳よりも、自動運動で空回りしている脳の方が、同時に起こっている主観的出来事をより大量に並列させるようなものである。またこの空回りが、そのモーメントに明瞭な一貫性を構築する際に、内的テーマのか役割をより大きくする。