うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

松茸と、ハッピーバースディと、【Nachmanら(未刊行)は、マイクロ分析面接を使用して、乳幼児と相互作用したり、乳幼児からの相互作用を見たりしている母親が、“子どもの身になったり”自分自身の身になったりと比較的自分の立場を何度も変化させる様相を描写している。】


 松茸をたくさん頂きました!ありがとうございます!
松茸ご飯でしょうか?個人的には、土瓶蒸しが好きです!



 今日は、いのうえっちの誕生日だったので、ハッピーバースディを弾いたらたくちゃんが、ギターをよこせと(笑)、持って行き、みんなでハッピーバースディを歌っていました!
ちょっとロック過ぎたので(笑)、そこそこに撤収しました(笑)。


 そしたら、アラビアの方が、祝いに駆けつけて来ておられました(笑)。



 そのあとは、いつものように、お化け屋敷(笑)。でも、もう女子たちも慣れてしまったので、全然怖くない様子(笑)。


 利恵さんは、笑いをこらえるのが大変そうでした!


 何事もなく、一日が終わろうとしていること、皆様に感謝です!


 今日は、夜勤でしたが、6月に調整に出したギターが、やっとできたと連絡があり、浜松まで取りに行かせて頂きました。
良いギター職人さんなので、リペアだけでなく、ギターとウクレレを作っておられ、注文も沢山あるようです。
 きちんと弾きやすいようになって、戻ってきました!
 作っておられるギターも弾かせて頂きましたが、非常に良い音で、値段をお聞きしたら、約50万円.......。とても買えませんが、本当に良い音で、ギブソンの000が好きで作ったとの事ですが、弦の関係もあるのでしょうが(もちろん木材も)、本家よりもギブソンらしい音がしていました。木材の名前とか、色々教えて頂きましたが、難しい名前でした。ハラカンダくらいしか分からず、聞き直したくても時間もなかったので、本当に時間を作って彼の話を聞きたいと思っています。サイズのオーダーも!と言っておられましたが、オプションがつくといくらになるのでしょうか?これは、音楽でお金を生むようにしないといけないなあと、以前作った自分の曲を聴きながら、夜勤に入りました(笑)。
 伴奏はするので、自分の曲を歌ってくれる方を募集しています! まじです!







 本は、朝少しだけ読みました。
下記は、当たり前と言えば当たり前の事を記述しているのかもしれませんが、『〜真似することは人に同一化し、人について分かってくる過程の一つである〜』と言われれば、支援をさせている人間は、気を引き締めないといけないかも?ですね。 





  〜その一つは、たとえば同一化identificationのように、臨床上欠くことのできない心的操作について、さらなる理解を深める方法である。同一化は多分に、その機能という面から扱われるが、そのうち一つは、ある意味で子どもをさらに親に似させることである。伝統的にこの機能を果たす心的操作は、男の子がしだいに父親に同一化していく場合のように、長い期間にわたって広範囲に及ぶ過程として――つまり精神内界で起こっている過程として(Sandler,1987)――抽象的に描かれてきた。これらの見解はたしかに正しいが、その過程を形成する小さくて個別的で具体的な心的行為もあるに違いない。Nachmanら(未刊行)は、マイクロ分析面接を使用して、乳幼児と相互作用したり、乳幼児からの相互作用を見たりしている母親が、“子どもの身になったり”自分自身の身になったりと比較的自分の立場を何度も変化させる様相を描写している。その母親はまた、主観的にはこの二つの極の間のどこかにある位置を占めることもできる。さらに母親たちは、同一化する立場を数秒ごとに変えることもよくあると述べている。この光景から現れるものは、現実の時間の中で心的行為の連鎖が形成する、非常に活動的で動的な過程である。このように同一化は精神機能であると同時にいる一つの生きた過程になるのである。マイクロ面接のようなアプローチがさらに進展すれば、われわれは同一化についてより多くを学ぶに違いない。


原注2)乳幼児にとって、物を操作することが、無生物の対象に同一化し、それについて分かってくるのと類似の過程であるように、真似することは人に同一化し、人について分かってくる過程の一つであると、Meltzoffは最近示唆している(1994)。同一化がさらに進むためには、表象された自己が他者のある面を真似するという、虚構の真似行為を必要とする。このような虚構の真似行為は単発的で短期のものである。われわれが通常同一化と呼んでいるもっと大きな過程は、まさしくこのような小さな行為の蓄積と熟達と自動化から成り立っている。この見方はSteeledのプロセスに関する見解にもあてはまる(1987)。