うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

礼儀正しいねこさん?(笑)と、【そう考えるゆえに、われわれは非特異的なものに広汎かな役割があることを過小評価したり、忘れたりしがちなのである。】


 夜勤明け、ファミマで本を読んで帰宅しましたが、ぼーっとしたままこの時間(笑)。寝れば良かったと後悔しています.....。
ねこさんは、飼い主に似て(笑)、良く寝ます。
 今日の寝方は変な寝方なので写してやりました!
礼儀正しい様な、緊張している様な.......。夕食の高野豆腐に、足を突っ込んだりして、決して礼儀正しくはありませんが......。





 下記は、大先生たちが口を揃えて言っています。特異なものより、非特異なものの方が大事だと!帰納的な考えの方が、分かり易いし、早道かも知れませんね!
 『そう考えるゆえに、われわれは非特異的なものに広汎かな役割があることを過小評価したり、忘れたりしがちなのである。』




 

〜つまり、治療的アプローチはおよそ等価だという仮説は一回的でないし、おさまりが悪い。これを解決する方法はいくつかある。心理療法に入りきっている実践者に最もアピールする方法は、等価だという基本仮説に対して臨床的に重要な例外を探すことである。たとえば、ある治療に対してよく反応する、あるいは反応しない事例を、うまく記述できさえすれば、どの治療法が、どういう人に、いつ、どこで、うまく作用するのかを予測することができる。治療でアプローチが等価だという基本仮説を否定したり評価したりする試みは、意味があり必要でもあるが必ずしも成功しない。しかし、もしこうした研究を少しでもさせることができれば、この仮説も受け入れられるはずである。たとえーーまたは特にーー心理療法の効果研究をしていても、この仮説をただ無視してしまうという選択をする者もある。彼らは、共通の特徴というのは比較する治療的アプローチのどれについても特異的ではないのだから、それについて研究すべき事項もないし、考慮する必要もないという。たしかに共通の特徴は常に存在するし、常に働いているのであって、潜在変数ではない(たとえ治療効果の最大部分を占めるとしても)。そう考えるゆえに、われわれは非特異的なものに広汎かな役割があることを過小評価したり、忘れたりしがちなのである。