うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、素敵な風景と、【治療者は対人関係と精神内界との境界を行ったり来たりすることを強いる。】






 午前中は、雨がぱらついていたので、蔵王山展望台に行きましたが、午後からは晴れたので、芦が池に行きました!
展望台も素敵ですが、やはり屋外の方が季節を直に感じる事が出来ますね!
 今日は約12km歩きましたが、お互いまだ余裕がありました。



 本は、早めに出て、ファミマで読みました。まだまだ復習ですが......。



 昨日の図を見れば、よく理解できますが、下記の様に、入り口をいくつか作っておくことにより、臨機応変な治療(自分たちは支援)が出来るように思われます。古典的なものは、その枠の中に入れて(嵌めて)行っていく感じがするので、枠に入ることが出来ないこと、ものは、見過ごしてしまいそうですね。余程、洞察力や観察力・感受性が鋭くないとです。
 『つまりシステムの性質がそのようなものであるために、現実の療法実践においては治療を一つの入り口のみ制限するのは不可能ではないにしろ困難だということである。』

 

 下記は、治療者と患者共にですね。支援においても、同一化して、落ち着いたら徐々に離れていくということが、自然に出来るようにならないと、重度の方の支援は、難しいですね......。
 『治療者は対人関係と精神内界との境界を行ったり来たりすることを強いる。』

 毎日、現場でも本でも、沢山の学びを頂いています。






〜この共通の結果を生み出しやすい臨床場面には、もう一つの現実がある。つまりシステムの性質がそのようなものであるために、現実の療法実践においては治療を一つの入り口のみ制限するのは不可能ではないにしろ困難だということである。アプローチが“混合”するのは治療を実践する側の努力の欠如によるものではない。彼らは自分の選んだアプローチが目指している一つの入り口にその努力を向けようとしている。しかしシステムは絶対的な純粋性を受け入れない。たとえば母親の幻想生活(M rep)を特権的な入り口として、治療上の焦点をあてたとしても、食事を与えるため、またはおむつを替えたり、なだめたり、注意を払ったり、あるいは遊びを終えるためであったりする現実の母と乳幼児との相互作用(B act M act)を扱わざるをえない。この相互作用を無視するならば不自然でまずい治療であり、相互作用が何らの実際的な理由でセッションを終了させることになるかもしれない。あるいは別の側面から見ると、あるアプローチが顕在的な相互作用に主に関心を向けて、母親の表象世界に全く関心を向けていないならば、そのアプローチをとる人は親−乳幼児の出会いによって喚起される恐れ、幻想、記憶などの豊かさに気づかないであろう。繰り返すがこれらの要因を無視することは、治療を不可能にはしないまでも治療上危険である。治療者は対人関係と精神内界との境界を行ったり来たりすることを強いる。同様に治療者の信念に関係なく、治療は同時に個人心理療法(第一養育者との)であり、夫婦療法(夫と妻との)であり、家族療法(父・母・子)である。これらは全て同時に起こることもあるし、順次そうなることもある。このように伝統的展望と技法を堅く守ることは困難であり、それぞれのアプローチで不可避的に混合が生じるにもかかわらず、一つの要素――一つの入り口――が優先され、そこに治療の焦点と治療行為の大半が向けられることになる。〜