うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【たしかに特異な行為は、ある欲動の特定のゴールである。一般的な、特異でないゴールとはエネルギーの解放である。】


 今日の日中は、穏やかに過ごせました(昨日もですが)。
送迎会議もあり、職員がわんさか(笑)いたので、自分は隙間をぬって(笑)、事務仕事や会議の資料を作ったり、散歩を手伝ったりさせて頂きました。利恵さんも巴江神社まで行きました。
 お天気も良かったので、心も軽くなりました。


 戻って来たら、かおちゃんが、女性職員と一緒に歌っていました。


 写真はありませんが、あっ君とピアゴに行って、たこ焼きも買ってきました!

 ショートさんも沢山おられて、ホームの方も全員戻られたので、夕方は少しバタバタしてしまいましたが、何事もなく皆さん笑顔で『おやすみなさい!』って、入床されたのを確認してから、帰宅しました。
 何事もなく過ごせたこと、皆様に感謝です!




 本は、またまた早めに出てファミマで読みました。
もう少し復習ですが、復習と今読んでいる箇所が似通ってきました(笑)。




 下記は、特定のゴールと、エネルギーの解放の違いを色々考えていると、何か両方とも同じでは?と思えるようになってきたので、今日はこのくらいにしといたるわ!(笑)ですね。明日また読み返してみます!言わんとしている事は理解しているつもりですが、何でも深く考えすぎると。全ての理論が同じように思えて来てしまいます(笑)。まあ、頭が悪いだけでしょうが!
 『たしかに特異な行為は、ある欲動の特定のゴールである。一般的な、特異でないゴールとはエネルギーの解放である。思考や表象記憶は特異な行為が禁じられた結果であり、したがって二次的な派生物であると考えられた。』


 明日、朝が早いので早めに寝ます(笑)。




6.いくつかの理論的事項
 前言語段階の乳幼児との関係性を観察する場合、必ず行為(action)が中核を占めるという事実に考えを戻そう。この必要条件は時として、親−乳幼児相互作用を力動的心理学よりも行動学や行動主義心理学に属するものとして記載する(または排除する)理由に使われる。この観点への私の反論を述べるには、長い論議が必要である。〜


〜こうした技法的側面の下にある、より理論的な水準では、行為が中心にあることは、あらゆるアプローチで疑いのないことである。Freudは“特異な行為”(specific action)(1895/1950)のような動機が顕な行為には常に欲動の部分であると確信していた。たしかに特異な行為は、ある欲動の特定のゴールである。一般的な、特異でないゴールとはエネルギーの解放である。思考や表象記憶は特異な行為が禁じられた結果であり、したがって二次的な派生物であると考えられた。この意味で、フロイト派の立場は、臨床で強調されているかどうかは別として、行為(action)が動機づけられた行動(behavior)の基本的な出発点であることに合意している。行動主義者といくつかのシステム論の治療者は多分に顕在的な行動を扱い、精神分析家は多分に禁じられた顕在的行動の心的派生物を扱うという事実が、行為の中心性をめぐるこの基本的合意点をぼやかしてしまいがちである。〜