うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、【分析によってもう一度与えられるのは、被分析者が子どもの頃十分に得られなかった、まさにその発達促進的な状況である。】


 今日の日中は、少しだけ賑やかでした。
自分は男子担当なので、お天気が悪かったので、蔵王山の展望台に行きました。
 金曜日のように、歩いたり、プロジェクションマッピングで遊んだり、資料を見たりしてきました。


 夕食後は、誰ともなく盛り上がって(笑)うたたね楽団の演奏が始まりました!
ウクレレの弦が切れたり、ペグが1個なくなっていたり(笑)ペグは、まあ、3つあれば何とかなるので、弦だけは買ってこないといけませんね。


 あまりにの勢いに、女子は笑うしかなかったようです.....。
今日は、非常に勢いを感じました!

 19時を回ると、クールダウンに入りますが、こちらもみなさん馴れたもので、きちんと、クールダウンされます。
20時を回ると、就寝の準備に入ります。
 重度の方が入眠されたのを確認してから、夜勤者に現場を任せてきました。
明日は早番なので、早く寝ないといけませんね(笑)


 今日も頂いた本を持って帰るのを忘れてしまいました....。
朝、会計事務所に行く用事もあったので、11時からの出勤でしたが9時に会計事務所に行き、10時までファミマで本を読み、この本を読み終えました。
 取り敢えず、明日はスターンを持って行きます(笑)


 下記は、支援にも言える事だと思いました。今ここで起こっていることと、少し前、大分前に起こったことを、きちんとした情報(あまり歪曲されていない)で、判断して、支援方法を考えて行かないと、その場だけ良ければ、の支援になってしまいがちです。
 『患者の現在と過去の経験をかなり正確に把握してはじめて、分析医は、解釈を介して、適度のフラストレーションの繰り返しにより発達が促進される状況の精神分析的再現である、ワーキング・スルー・プロセスを設定することになる。』


 下記の分には、あっていないかもしれませんが、ウィニコットの言う、抱えるという行為もそれに含まれると思われます。
ちょうど、今日、夕食時におそらく自分が言われていたであろう言葉で支援者を口で攻撃していた方がおられましたが、ここでは、そんなこと(出て行けや、死ね等の暴言)、を言う人間はいないから安心してね!と繰り返し言わせて頂きました。初めてではありませんが、同じことが起こるたびに、同じ声掛けをさせて頂いています。その方は、うたたねに来てから、初めて(以前から存じていて、初めに働いた施設ではその方の担当にもなったことがありました)自分を出せるようになったので、それはそれで、安心してその様な発言が出来ているのかな?とも思っていました。その方と同一化する時期は自分的には過ぎたと思ったので、今度は少し前に進めるように、暴言が出た時には、そういう風にさせて頂いたら、どう変わって行くのだろうと、良い方に変わって頂けたらいいのにな!と期待も込めて、支援をさせて頂いています。
 『分析によってもう一度与えられるのは、被分析者が子どもの頃十分に得られなかった、まさにその発達促進的な状況である。』 







10,自己対象転移と解釈

結語
〜「自己心理学は、解釈一般、特に転移の解釈を治療的精神分析の中心的手段とするという技法原則に則っている。しかし、解釈が本当に分析的であると言えるのは、つまり、被分析者をして、いずれ、彼自身の中核自己パターンに調和した生き方ができるようにするのは、それ(解釈)が、(隠れ蓑に)隠された道徳的・教育的圧力なしに与えられた場合に限られる、と私たちは信じている。そうした圧力は、欲動の一次性primacy、乳幼児の無力さ、自己愛という概念の言外に含まれる侮蔑的意味合いなど、伝統的な強調点が保持される限り避けられない。患者の現在と過去の経験をかなり正確に把握してはじめて、分析医は、解釈を介して、適度のフラストレーションの繰り返しにより発達が促進される状況の精神分析的再現である、ワーキング・スルー・プロセスを設定することになる。分析によってもう一度与えられるのは、被分析者が子どもの頃十分に得られなかった、まさにその発達促進的な状況である」(p.210)。