うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

北海道の友人からと、【精神分析がその乳児期にあり、Freudを含むすべての分析医が精神分析の初心者であった頃は、防衛と抵抗がとても重要であった】


 朝起きたら、北海道が大変なことになっていて、直ぐに北海道の浦臼に住む友人に連絡を取りましたが、浦臼は震度4で、揺れはあったものの、台風の影響の方が大きかったと、写メが送られてきました。
 自分の所は、こんなんで済んだからと.....。謙虚になるのも、震源地あたりの映像が流れていたので、そういうしかありませんね......。
後、一月もすれば、雪が降り始めるので、甚大な被害があった所は早急に手当てをしないともっと大変なことになりますね......。
 彼の主産物は、お米とワイン用のブドウですが、これから収穫の時期なので、そちらの方の被害も心配しています。

 大阪からも電話があり、身内のところは、公園の気が倒れたくらいでしたが、海沿いは大変なことになっています。
温暖化と言うより、地核のエネルギーが満ちている感じもするくらいですね.......。

 市や県が、人材派遣で、当施設の常勤換算を埋めてくれるなら、被害が大きい施設の支援に行かせて頂きたいくらいですが、難しいですね....。そんなシステムがあれば、重度の方々が被害にあっても、専門性のある支援者が行けるのにと、いつも思いますが、自分たちの力のなさを露呈するだけでしょうか?
 そんな時は、本当に体力のある施設を作って行かないといけないと思います。行政と上手く話し合いが出来て、余裕のある施設から、支援者をシャッフルできないでしょうか?それぞれに専門性がいるので、自分が役立てるのなら行きたいですね。


 



 今日は、休みで自分の受診に豊橋まで行って来ました。
アトリエ・カーグの方の作品を額装したりしていたら、もうこんな時間。
 今日は薬だけだったので、本を読む間もなく帰宅しました。




 下記は、そうしないといけない時もあると、自分は思っています。昨日アップさせて頂いたように、受容だけでは何も前に進みませんので。
 『それは、無意識の葛藤を腫瘍にたとえ、ウミを放出してやれば後は自然に治癒する、という考えから、分析医は、あらゆる感情や人間的な同情は脇に置いて治療する、外科医をモデルとするのが望ましい」としたFreudの欲動理論に立脚しています。』

 今日は、早めにアップします。







8,防衛と抵抗
 伝統的な精神分析が防衛と抵抗について語る場合、その基本にあるのは、精神『装置』の機械的なメカニズムです。それは、無意識の葛藤を腫瘍にたとえ、ウミを放出してやれば後は自然に治癒する、という考えから、分析医は、あらゆる感情や人間的な同情は脇に置いて治療する、外科医をモデルとするのが望ましい」としたFreudの欲動理論に立脚しています。その後展開した自我心理学の理論も、こと防衛と抵抗の基本に関する限り、大差ありません。そして、この伝統的な理論が言い違えslip of the tongueや夢解釈の大部分、そして、ごく限局性の心的機能不全(限局性の神経症の症状)などには説明力を発揮するものの、人格全体の評価となるとモデルとして不十分であり、また、「『快楽』原則にひたり続けられるよう『防衛』し、『現実』原則を受け入れることに『抵抗』を示す」、といった表現のように、道徳的色彩が強いと、Kohutは主張します(p.113)。


 とはいえKohutが、抵抗と防衛の重要さを全面的に否定しているわけではありません。治療の初期の段階、つまり、患者の葛藤と中心的問題を扱い始めるようになる以前の段階では、「防衛の分析」という言い方があてはまると言います。そして、今日の精神分析の理論と臨床において防衛と抵抗は、昔ほどの重要さを持たないものの、分析の初心者にとっては重要なものであるとされ、   精神分析がその乳児期にあり、Freudを含むすべての分析医が精神分析の初心者であった頃は、防衛と抵抗がとても重要であった」(p.115)と説明します。