うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ひーひー王子が、退院と、【この点、ヨガ、Meditationなどを含む東洋文化・宗教の急速な普及期(ここ十数年)と、Kohut理論が幅広く受け入れられ出した時期が一致しているのは興味深い。】


 ひーひー王子が3日間入院していて、午後に帰宅しました。
甲状腺機能が低下しているとのことでした。人間でいえば、橋本病ですか?って聞いたら、自分は橋本病のことをよく知らないのでって、知ったかぶりをされない方は、信頼できますね!
 ろくに物が分かってなくても、人様の受け売りでも、偉そうにしたい輩が多いですが(笑)、本当に自分の仕事に自信がないと、正直に知らないって言えませんが!
 取り敢えず、免疫機能が弱っていると言う事なので、抗生剤とホルモン剤の処方とのことでした。それでも、だめなら、また来てください!高齢で全体的に体の機能が落ちているのも事実の様です。
 自分が中根家に来てから、13年経っているので、それだけでも中型犬だと78歳!15年だと88歳!いくら高齢化社会だと言っても、何かあれば直ぐに命にかかわってしまうような年齢ですね!今年は猛暑だったし、仕方がなかったかもしれません......。
 取り敢えず、魚肉ソーセージ(自分の....)に薬を入れ込んで、服薬は済ませました。



 今日は、夜勤明けで帰宅前に、ファミマで本を読んで帰宅しましたが、ひーひー王子の迎えなどやっていたらもうこんな時間(笑)
夕食と適当に済ませて、シャワー浴びて、早めに寝ます。明日の名古屋行きも中止になったので、ゆっくりできれば、と思っています。



 本はスターンを読んでいますが、本当に参考になります。
早くそちらに行きたいですが、まずは元のコフート周辺を片付けてからですね!それからの方が、理解が深まりそうです。


 和太鼓とB-sproutとのコラボの話をしていたら、バッハが今の音楽の形を作ってしまった(笑)ので、小節の中にきちんと入れて行かないといけないような、演奏家が多くなっていて、純粋な和のリズムとは合い難いし、どちらかがそれなりのスキルが無ければ、きちんとした(本当に人を感動させるような)演奏は出来ないのでは?という話になりました。
和楽器を使ったバンドが一世風靡していますが、その底に流れているのは、どんなリズムなのか?と、話がどんどん....。(笑)
 秦の始皇帝が、今の中国の形を作ってしまった(ので国土が大きいまま)ので、まとめ上げるのに大変苦労されていると思いますし、星座のように一回形を作ってしまったら、そこから離れられなくなってしまうと、中井久夫先生関係の本でも記述されていました。
 型を破るのは並大抵の努力では出来ません、みたいな話で、結局、結論が出ないまま(笑)また、終わってしまいました....。



 サリヴァン先生は、その時代の文化をきちんと読んでおけ!みたいなことを言っておられましたね。
 『この点、ヨガ、Meditationなどを含む東洋文化・宗教の急速な普及期(ここ十数年)と、Kohut理論が幅広く受け入れられ出した時期が一致しているのは興味深い。』




 下記は、ウィニコットが行った、オンデマンド方式がもっと浸透すれば、日本でももっと精神分析が認知され、活用されるのでは?と思いますが、いかんせん、精神分析医の数が恐らく足りませんね.....。
 『しかし、Kohut,Kernbergともに自己愛パーソナリティの理想的な治療として、1回50分、週3回以上、3〜5年にわたる精神分析を考えている点で全く相違はないといえる。』



 下記のように、Kernbergの考え方と、Kohutの考え方からの双方を並べて考えるというのも、間主観的な考えの様な感じもしますが......。

 いつも、野球やサッカーを観ている様な感覚で、本を読んでいる、おっさんでした(笑)。





結語
  〜この両者の違いには、米国における人間関係と日本における人間関係といった違いにも似たものが感じられる(そしてこの違いが典型的なアメリカ人であるEricといる時「Kohut的」と感じた私をして、日本に帰り日本人精神科医の間にあっては「Kernberg的」(Americanized)と感じさせた理由であると思われる)。すなわち、Kernbergは新生児を、母親に完全に依存したhelplessな存在としてとらえ、自己の起源をlibidoとaggressionの盛衰、自己対象の分化、心的内界構造の発達といった点を中心として、メタサイコロジーに生物学的観点を加味した立場から、あくことなく分析する。これに対しKohutは、「母親という共感的環境ゆえにある新生児は生まれながらにして力強いものである」と考え、「赤ん坊を抱きかかえた母親が、赤ん坊を自己として認知する時から自己は存在する」とすんなり言ってのける。それは独立と「個」の確立を錦の御旗とする西洋と、相互依存と融和を強調する東洋の違いであり、分析・観察を重んじる西洋哲学と、統合・体験を重んじる東洋哲学の差にも似ている。この点、ヨガ、Meditationなどを含む東洋文化・宗教の急速な普及期(ここ十数年)と、Kohut理論が幅広く受け入れられ出した時期が一致しているのは興味深い。
 この日本的対人関係に親和性の高いKohut理論は、日本の臨床場面でより幅広く受け入れられそうに思われる。共感的理解を究極の治療技法とし、「心的世界の中心」である自己を扱うKohut理論は多分に対人関係論的であり、experience distantな心的内界の現象を扱い『近づきがたい』Kernberg理論に比べ、深い精神分析的背景なくしても理解、応用できそうな錯覚さえ与える。しかし、Kohut,Kernbergともに自己愛パーソナリティの理想的な治療として、1回50分、週3回以上、3〜5年にわたる精神分析を考えている点で全く相違はないといえる。