うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

台風一過と、【Kohutは共感を次のように定義します。〜「他者の内的生活を、客観的な観察者としての立場を保ちながら同時的に体験すること(試み)」】


 台風対策での雨戸を開けたら、下に少し前に浜松で買った花が枯れて落ちていて、感じが良かったので、玄関に置きました。
まだまだ暑いので、花を入れるのは、直ぐに萎れてしまうのでかわいそうですね。枯れたものが今は良いです。
 また、故郷の大阪の被害が大きくニュースでやっていて、余計に胸が痛くなりました....。
こちらは、驚くほどの被害もなく、一安心でしたが.......。
 大阪に向けて、投げ入れた感じがしました。



 今日は一日、事務の日でしたが、昨日の休みで大半片付けてしまったので、午前中に事務仕事の取り敢えず期限がある物は片付き、時間があったので、トイレの床や湯船を除菌してきました。
 一度、自転車を取りに徒歩で帰宅して、また自転車で現場に向かいました(笑)親分が昨日、荒天の中、徒歩で通勤したので、車を持って行ったので、めんどくさかったです(笑)。涼しくなるかと思いましたが、中々涼しくなりませんね.....。
歩くだけで、汗が吹き出しました。
 夕方の男子の入浴介助を済ませてから、帰宅しました。

 




 本は、早朝からファミマで読み、昼食もファミマで摂り(笑)、その時に大分復習しました。
下記は、少し前に読んだ箇所です。



 下記にある、Kohutの共感の定義が、本当に言い得ています。
 その中でも、『他者の内的生活を、客観的な観察者としての立場を保ちながら同時的に体験すること(試み)。』に深く納得しました。
 未だに、受容が一番大切に思っておられる方が多いのにびっくりしますが、受容だけでは前に進めません、と現場で真剣に支援をさせて頂いていると、痛く感じます。やはり共感から始まって、少しずつ(適量で)理解しながらも、要求を2回に1回から3回に1回とか、段々離れていくことを、やって行かなければ、いつまでも依存が続き、前に進まないからです。それをKohutが口酸っぱく言っていると、丸田先生が分かり易く、伝えて下さっていると、自分は感じながら読ませて頂いています。

 どんな道でも、謙虚であることを忘れてはいけませんね.....。最後の文章が、そんな気にさせてくれました。







第3章 『分析敵治癒の機序』 

7,分析の治癒的効果 2
1)共感
 Kohutは共感を次のように定義します。  「身代わりの内省vicarious introspection」(p.82)   「他人の内的生活の中に自分を入れて考える能力」(p.82)   「価値判断に対し中立的な観察する手段」(p.175)
  「他者の内的生活を、客観的な観察者としての立場を保ちながら同時的に体験すること(試み)」(p.175)
そうした共感と内省をもって患者に向かう自己心理学敵治療は、古典的な分析医と比べ、もっとリラックスして治療に臨み、患者の前で気楽で、必要があれば情緒的に呼応することに懸念がなく、その態度もより友好的です(p.81)。その理由は、これまでとは違う共感を持つからでも、自己心理学的治療者の方が「もっと共感的だから」でもありません。Kohutによればそれは、「共感の視野が広がったから」(p.8_)なのです。  「言葉を換え言えば、自己心理学者は、自己心理学の理論を通して、それなしでは気がつかなかった(心理的な)輪郭configurationを、共感的に感知することができるのである」(p.84)。





2)理解、説明、誤った解釈
  「分析医としてのこれまでの経験から学んだことを1つだけあげろと言われれば、それは、患者が私に語る内容が恐らくは真実であろうことである。つまり、私が正しく患者は間違っていると思ったことが何度もあったが、結局は……私の正しさは表面的で患者の正しさは底が深かったのである」(p.4)。