うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

柿の木と、【すでに繰り返し強調したように、最も重症な、自己されパーソナリティ障害の大部分においてさえ、自己愛的固着を引き起こすのは、発達初期におけるとんでもない外傷的な出来事であるというより、親に対する小児の反応である】


 暑い日が続いていますが、柿の木には、秋の足音が聞こえました。
葉が色づいたり、実が熟して来たり。9月にはこの地方の大きな祭りがありますね!
 ジモティーの親分とは違い、クールにこの時期を過ごすよそ者には(笑)、地元の方々は理解できないようです。
高校野球も、大阪が負けたら自分の中の夏は終わってしまうし(笑)、根っからの大阪人だと思います。


 夜勤明け、帰宅前にファミマで本を読んで、寝ぼけた頭で帰宅したら、碧南から副理事長さんが来てくれる日でした!
朝から入浴介助があったので、取り敢えずシャワーを浴びて、汗を流しました(笑)

 色々と報告させて頂き、色々と指導して頂きました。






 矛盾というのは、人間だれしも持っているように思っていますし、立派な方が書かれた本でも、はじめと最後の整合性がない本も時々あります。
 書きはじめた時と、書き終った時の状況が変化する場合もあるでしょう。
 自分みたいな知識が全くない人間は、本を読むたびに新しい発見があり、前言をいとも簡単に撤回しています(笑)。
でも、根底に流れる、普遍的なものをきちんと認識できていないと、その結果が、アンビバレントな形になって行くように感じています。
 思考する際の軸は、大事ですね!
自分は、支援を考えるにあたって、現在の軸はやはりクラインとウィニコットです。 




 下記の本当の意味は、自分には理解できていないかもしれませんが、分析医(親)を支援者、患者(子ども)を利用者さんに置き換えて、支援方法を考えさせて頂いています。その組立の中には、この本のもう少し後で出て来るような、人間の原初的なやり方を底に流しながら組み立てて行きます。


 『すでに繰り返し強調したように、最も重症な、自己されパーソナリティ障害の大部分においてさえ、自己愛的固着を引き起こすのは、発達初期におけるとんでもない外傷的な出来事であるというより、親に対する小児の反応である』








  〜病原的固着をおこす外傷について述べるKohutは、文字通り解釈すれば相矛盾すると思われる発言をしています。
 「まず例外なく確認できるように、本質的な起源となる外傷は、両親の精神病理、もっと具体的に言えば両親自身の自己愛的固着に根ざしている」(p.79)。
 したがって、そうした外傷は、 
 「(両親自身人格、そして、小児、精神病理が結晶化する際その中核となる外的な出来事以前における、両親の小児との全般的な関係という枠組みの中で理解されなくてはならない」(p.80)。

 この文脈でゆけば、自己愛病理のおおもとは、(どちらかの)両親の自己愛病理です。

 その逆ととれる記載が、すぐ後のページに見られます。
  「すでに繰り返し強調したように、最も重症な、自己されパーソナリティ障害の大部分においてさえ、自己愛的固着を引き起こすのは、発達初期におけるとんでもない外傷的な出来事であるというより、親に対する小児の反応である」(p.82)。
 この2つの言葉のうち、どちらを強調するかで、Kohut理解が変わってきます。