うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【彼が自己評価の高揚を感じることができるのは、自分が賞賛する力強い人物――その人による受け入れを渇望し、その人からの支援を必要とする、そうした人物に自分を付着することによってのみであった】


 今日の日中は、それなりに賑やかで、2班に分かれました。
おっちゃん班は、すき屋に牛丼を食べに行きましたが、牛丼を食べたのは、利恵さんとおっちゃんだけで、皆さんうなぎや、スペシャルカレーと豪華な品を......。羨ましい......。
 

 本は、朝食が無かったので(笑)、ファミマで朝食を頂きながら読みました。


 下記は、そういわれると何も言えなくなりますね。自閉症の母親は、冷蔵庫のように冷たいというような例えを言ってしまった方を擁護する気はありませんが、タスティンだったか?アルバレズだったか?後天的な(環境的な)自閉症について言っていたことを、下記は思い出させてくれました。だから、そういう方々を支援させていただく時には、その欠損部分をどうやって埋めていくのか?を真剣に考えなければなりません!
『であると同時に、前エディプス後期ならびにエディプス期において外的に体験された、理想化された親イマーゴの強力な備給である。』


 下記は、メルツァーの『付着同一化』を思い出しました。
主体がなければ、そうならざるを得ないので、エディプス水準には中々達することができない、知的に障がいをお持ちの方に、そこから脱出できるようにするにはどうしたらいいのか?と毎日考えています。上手くいく時もあるし、行かない時もありますが、考え続けていれば、いつかは、膝をポンと叩ける日がくると祈りつつ、頑張らせていただきます。
『自分が賞賛する力強い人物――その人による受け入れを渇望し、その人からの支援を必要とする、そうした人物に自分を付着することによってのみであった。』





4.理想化転移の臨床
 まずいくつか、Kohutによる具体的な症例の記載と、そうした症例に関する定式化を見て見ましょう。両親(特に母親)のあり方にKohutがいかに重きを置くかに注目しながら読んで下さい。
  「彼の人格の中心的な欠損は、超自我の不十分な理想化(すなわち超自我の価値観、基準、そして機能への、不十分な理想化リビドー備給)であると同時に、前エディプス後期ならびにエディプス期において外的に体験された、理想化された親イマーゴの強力な備給である(p.61)。 「課した基準を満たし、目標を達成した時、束の間の満足以上のものを感じる能力が彼には欠けていた。彼が自己評価の高揚を感じることができるのは、自分が賞賛する力強い人物――その人による受け入れを渇望し、その人からの支援を必要とする、そうした人物に自分を付着することによってのみであった(p.62)。

  「この患者におけるはびまん性の自己愛的脆弱さは、母親の性格障害、具体的には、乳幼児期における母親に共感的反応の、気紛れさunpredicatabilitzと当てにならなさunreliabilityに関連していた」(p.63)。