うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お盆休みと、指のけがと、【つまり、養育者がある時点でしたことというより、その養育者のあり方が問題なのです。】


 今日から、お盆休みが始まった方も多いのではないでしょうか?
うたたねの利用者さん達も、帰宅できる方は、帰省されたので、帰省できない方々と、お盆はご馳走を食べに行く約束をしました。
 帰省される方も色々で、ご家族と一緒にいても変わらない方、ご家族といると、一次的になられて、現実味が顔の表情からなくなる方と、色々ですね。ご家庭でも、施設でも、きちんとけじめをつける事ができないと、現実味のない表情になってしまう傾向があります。
 小羊学園の理事長の稲松さんが、人は生まれた時から、平等ではない。と言われていましたが、利用者さん達の表情を見ていたり、環境を考えると、帰省できるできないで、幸不幸は量れないかも知れないなと、ふと思いました。


 先程、ひーひー王子との散歩では、空がきれいでした!
空を見ていると、ふと下記の言葉が頭を過ぎりました。何の脈絡もありませんが(笑)


 愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である。愛力不二(少林寺拳法創始者宗道臣


 力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。なぜならば、つねに悪人は絶えないから、正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。パスカル


 刀(拳)は磨かなければならないが、抜かないに越したことはない。大山倍達


 きっと自分が、世の中の流れに、愛を感じる事ができなくなったからでしょうか?




 ギターを弾くので、指先には細心の注意を払っているつもりですが(笑)、先日、すろーじゃむに行った時に、雑草が沢山生えていたので、無意識に、素手で沢山抜いていました(笑)が、指を痛めてもいました(笑)。
 それでも、絆創膏を強く巻いて、ギターを弾き続けてしまうのはなぜなのでしょうか?自分でも分かりません......。
今日も休日でしたが、早番さんがいなかったので、志願して早朝に2時間くらい仕事をしてから、帰宅して、常勤換算を仕上げました。
 仕事はいくらでもありますが(笑)今日はそれだけにしておきました(笑)。


 本は、早番でしたが、早めに出て、読んだり、昼食時に読んだりしましたが、中々進まず(笑)。でも、確実に身になっている気がしています。読むだけなら早く読めそうですが(笑)、本当に良い本なので、じっくり読ませて頂きます。







5)psychosexual development,固着点、退行

 精神科の疾患は、「おのおのの疾患に特徴的な、発達段階(口唇期、肛門期、エディブス期など)上、「固着点への退行」として説明できるとする仮説は、分析理論の中でも一番理路整然とした部分であり、魅力的な部分です。にもかかわらず(あるいはそれゆえに?)、私にとってはそれが最も受け入れにくい部分でした。私の想像の中ではどうしても、精神病と1歳児、強迫神経症・性格と3歳児、エディブス葛藤と5歳児が結びつかないのです。退行は「発達段階という時間の流れに沿った逆行性の動き」だから「精神病の患者は1歳児と同じ」という議論は持ち、退行を「事象のとらえ方、見通し」という枠組みで考えて、「精神病の患者のもののとらえ方は1歳児と同じ」、「強迫神経症・性格の患者の見通しは3歳児のレベル」としても、納得できないのです。まして、それぞれの病理の発端あるいは葛藤の『初版』が、そうした発達段階、ある特定の点(固着点)にあるとなると、もうとても納得できない。実際、そうした仮説が正しいことを証明するデータは、ここ50年、1つとして発表されていません。 固着点と退行という考え方には、その基本として、「ある時点における精神的外傷」という、初期フロイト理論の仮説が強く生きています。しかし、フロイト以後の研究によって明らかなように、精神病理の大部分、特に性格病理は、ある瞬間的な外傷というより、養育者との間で繰り返される関係パターンを通して起こってきます。つまり、養育者がある時点でしたことというより、その養育者のあり方が問題なのです。そして、その養育者のあり方は、プリエディパル期、エディパル期はもちろん、その後も、ある一貫性をもつパターンとして、将来の患者との間で繰り返されたはずです。そしてその蓄積が病理を生むのです。病理の出発点はどこでしょう?たとえ3歳の時にそのパターンの1回目が起こったとしてはたしてそれが病理の原因であると言えるのでしょうか?