うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

すろーじゃむと、【人間には、ただただエネルギーの発散を求める欲動だけでは説明しきれない、生得的にプログラムされた「生きる動機」があるはずです。】


今日は休みでしたが、3回呼び出しがあり(笑)現場に向かいました。
その内1回がすろーじゃむだったので、草ぬきを少しと、それをいちごの上に被せて、暑さ対策をして来ましたが、全滅に近いくらいですね.....。イチゴを植えてから、4年くらいになりますが、こんなのは初めてです......。
 空は綺麗ですが........。


 ぶどうは、台風で大分やらてしまいましたね........。


 本は、ジムが開くまでと思って読みましたが、ジムがお盆休みになっていました.......。
せめて今日までやって欲しかったですが、木曜日が定休日なので、仕方がないですね.......。

 今日、読んだ箇所は、閃く事が沢山あり、イギリス学派よりやはり自分はサリヴァンを含めた、アメリカの方が合っているのかな?と思ったりしましたが、クラインの妄想ー分裂ポジションや、抑うつポジションなどは、自分には現場での支援を組み立てる時には、分かり易いし障がいをお持ちの方々にも当てはまるところが多いし、なによりも、フロイトという天才が生み出した概念は、時代背景に沿って考えれば、間違う事も少ないのではないか?とも思えます。批判ばかりしていても、何も始まらないし、何も残せない方ほど、批判が大好きですよね?(笑) ニュートンが言うように、自分たちは先人の肩に乗って、物事を考えられるので、時代や自分の現場に合ったり、応用できるものはさせて頂かないと、もったいないですね。

 今回のアップは、復習的ですが、先になると、段々効いてきます(笑)



4)欲動
 この用語も、人間の心を劇画風に描くには好都合であり、複雑な人間の心に初めてメスを入れるのに欠かせない役割を果たしました。実際、フロイトの時代、現在の感覚でいえば短期の精神分析的治療によって、限られた範囲の葛藤を、比較的健全な患者を相手に治療している限り、欲動という用語は実に便利で有効であったと考えられます。問題は、フロイトに続く分析医たちが、正統派の立場を固守するあまり、精神分析的治療の期間や対象が変化した後も、その用語にしがみつき過ぎたことです。 たとえば、欲動と共感の関係。精神分析的治療の中心が欲動の盛衰の理解にあり、その過程で共感が重要な役割を果たすとすれば、治療者は、目的性も持たない欲動という『車のエンジンのようなエネルギーの塊』に、いかに共感したらよいのでしょうか?ちょっと考えただけでも、人間の複雑な心のプロセスが変化目的も方向性も持たない2つの欲動によって説明できるわけがありません。それは、ノルアドレナリンセロトニンだけで人の抑うつ気分を説明しようとするのにも増して科学性を欠きます。人間には、ただただエネルギーの発散を求める欲動だけでは説明しきれない、生得的にプログラムされた「生きる動機」があるはずです。