今日は、彦坂先生のストレッチ教室がありましたが、自分は丁度帰宅する時間だったので、さわりだけ見させて頂きました。
最初は、ヨガの様な感じでした。参加させて頂きたかったのですが、残念でした。
昨夜は、いのうえっちが、利恵さんにギターを聴かせていましたが、うるさい!って利恵さんに言われていました(笑)。
が、メゲズに弾いていました!
たくちゃんは、ウクレレから、ギターへと忙しそうでした。
まりちゃんが、応援してくれるので、愉しそうでしたね!
まつおさんも、愉しそうでしたが、テレ屋さんなので、中々表現ができません。でも、愉しそうでした!
今日は、早番〜主任会議と、送迎、入浴介助と、少しだけ忙しい日でしたが、中々主要な職員さん達と、きちんと話が出来ないので、良い一日になりました!
本は、読めていません(笑)貯金があるので、アップは余裕です(笑)。
第2章自己分析を語るさいの危険
ダイナミックでない精神分析、は無価値です。ダイナミックであるとは、ヒトの諸本能と諸欲動に、さらには、それらに対処するにさいしてのもろもろの不安、に注目しているということです。ヒトの生は、はじまりの時点から、革命の連鎖なのです。しかもその進展は、いつもいつも順調、というわけにはいかないのです。〜
〜児童に関するWinnicottの業績は、これまでに、かなり十分に知られています。彼自身、系統だてて論述していますし、オープンに語ってもいますし、Paddington Greenや他の外来診療所で、彼が行っていることを見ることのできた人も多いのです。精神神経症を治療する際には、Winnicottは、「スタンダードな技法」(Winnicott 1962d)を用いていました。つまり、転移神経症を分析し、エディブス・コンプレックスと超自我の発達、に注意を向けました。〜
〜Winnicottのやり方は、明らかにかつ確固として、幾つかの原則に則っていました。それは次のような特質です。1,その人の個人としての大切さと同時に、その人の極早期の環境の大切さ、に注目している: 2,共感し、相互性を体験する(ノン・バーバルなコミュニケーションと、ボディ・ランゲージとを理解する。これは単に、無意識に行う動作や姿勢に気がつく、ということ以上の意味です): 3,固さのない確かさ: 4,「依存状態への退行」の許容(Winnicott 1971b)です。〜