うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

はんだ付けと、【彼の言っていることを、わたしに、味見したり触ってみたりさせ、それを受け入れるか拒否するか、の自由が、わたしに、与えられている雰囲気です。】



 今月末の夏祭りで弾かせて頂く、ギターをどれにしようかと悩んでいましたが、自分のギターは、自分と同じく老いぼれ(笑)なので、一番古いのが40年前にできた物で、一番新しくても30年前で、野外での催事になので、とてもこの暑さに耐えられそうにないので、20,000円のギターを、リサイクルショップで買ってもらいました。が、お店で試奏させて頂いたときには大丈夫だったのですが、自宅に戻ってMTRに繋ぐため、シールドを差し込んだら、酷い雑音の後、音が出なくなり(笑)、配電盤?w基板?wを開けてみたら、はんだが取れていたので、男性職員さんにはんだ付けをお願いしましたが、細かいので見えないと、なんと!機械音痴の自分にふってきました(笑)。まあ、やるしかないと(笑)やってみたら、なんとか音が出るようになりました。取り敢えず良かったです。

 元々、安価なギターなので、しかも中国製(少し前の)ですが、パワーはあるので、これで夏祭りはやれそうです。
自分のギターと比較したら、全然音が違いましたが.......。まあ、心配しないで弾けるので、大丈夫です!
 エレキは、アンプやエフェクターなどで、少しは誤魔化せますので(笑)、下手な自分でも何とかなります。
70年代ぽいデザインも気に入っています。

Epiphone エピフォン エレキギター Emily The Strange G-310
 スペックは、Amazonからです。が、ギグバッグがありませんでした(笑)。
因みにAmazonでは、現在在庫切れだそうです。


・Body: Alder / Neck: Mahogany - Bolt-on / Fingerboard: 時期により異なる
・Scale Length: 243/4” / Nut Width: 1.68” / Inlays: Dot
・Hardware: Chrome / Tailpiece: Stopbar
・ Pickups: Two Open Coil Humbuckers
・ギグバッグ付属

Emily the Strange グラフィックのサイケな SG!
エピフォンのエレキギターEmily the Strange G-310」です!

宇多田ヒカル氏が絵本を翻訳したことで知られる、アメリカのアーティスト集団によるキャラクター Emily the Strange!こちらはエピフォンブランドの SG をベースにボディやヘッド、コントロールノブにサイケなグラフィックが施されており、パワフルなサウンドと独特の世界感が見事にマッチしたモデルとなっています!

 まあ、自分としては音が出ればいいです!中古の割に、ネックの状態も申し分ないし、なにしろ余り弾いていなくて、ピックガードとピックアップにまだ保護テープ(ビニール?)が付いたままでした。





 今日は日勤で事務仕事が中心の日でしたので、一気に書類を片付けました!郵便局には、一つしか書類が出来ないなと思ったので、できた物だけ1回持って行きましたが(簡易書留なので)、他のものもできたので、2回郵便局に行きました。(笑)
 ちょっと気持ちが楽になりましたが、役所の方から指摘の電話がかかってこなければ良いのですが........。

 明日は、名古屋なので、早めに寝ます。





 本は、昼食をファミマのイートインで頂いたので、その時に、リトル先生の方の復習をしました。
本当は、同じ本を3回くらい順番に読み返せばより深く理解できそうですが、ベースに何もないので、取り敢えず、基本的な本をいくつか読ませて頂いてから、サリヴァンから読み返したいな!と思っています。





 下記は、何故日本で、ウィニコットが人気があるのか?が、理解できる箇所ですね!
きっと内省的だったんだな、と思わせるような記述に自分には感じられました。そこが日本人に共感をもたらしているのでしょうね!
 
『わたしは、自分のペースでやってゆくように、といわれていました、彼の方が、それに合わすのでした。ただし、特別な状況で必要となったときにだけ、彼が、力を行使しました、それは、通常、予期できない状況が、外部から引き起こされた場合でした。こうした設定は、わたしには、とても重要でした。』ここが、今回のアップの全てを物語ってくれていると思われます。

『彼の言っていることを、わたしに、味見したり触ってみたりさせ、それを受け入れるか拒否するか、の自由が、わたしに、与えられている雰囲気です。』こちらは、現場でもいつも心の片隅に置いておかないといけないような気がしました。







第5章 D.W.W.との精神療法
1949〜1955年、そして1957年
D.Wは本質的に、真実を生きる人でした。その彼にとっては、「good manner」ということが大切でした。すなわちで患者であれ同僚であれ、その個人を尊重していました。とはいえ、批判する場合には、歯に衣きせぬ人でした。「連想すること」を要求したり、「解釈」を押しつけたりすることは、効果がないだけでなくない「bad manner」なのでした。彼は、誰よりも正直でした。彼は、相手が見てとった事実に、ちゃんと応じましたし、相手の質問には、真実を答えました。誰か他の人に、害を及ぼす心配があるときは、例外でした。しかし、その際も、彼の答えが充分に真実ではない、ということとその理由とを知らせることが、本質とされていました。 彼は、相手の質問を、真っ正直に受け止め、率直に答えます、その後で、考えるのです(常々自問し、しばしば、相手にも問うのです)なぜ、その質問がでたのか?なぜ今、でたのか?質問の背後の、無意識にある不安は何だろうか?と。 わたしは、自分のペースでやってゆくように、といわれていました、彼の方が、それに合わすのでした。ただし、特別な状況で必要となったときにだけ、彼が、力を行使しました、それは、通常、予期できない状況が、外部から引き起こされた場合でした。こうした設定は、わたしには、とても重要でした。わたしは、ありのままの自分でいることと、自分のペースでやることとを、許容されたのです。わたしの幼児期は、逆でした、せかされたり引き止められたりだったのです、ですから、ペースも矛盾に落ち込むのも、他人まかせの事象だったわけです。 全面的退行へいつ入るかは、わたし独りにまかされはしませんでした。それは、大まかに言って、D.W.が抱えている、仕事の負荷しだいでした。彼によると、患者たちは、退行状態に入るのに、「順番待ち」しなくちゃならないことが、しばしばなのです。つまりこういう前の人が退行し終えて、もうその形態で、D.W.を必要とはしない段階、になるまで、待たされることになるのです。けど、わたしの方の準備が整うまでは入らない、という点では、わたしにまかされてもいたわけです。 彼が解釈することは、めったにありませんでしたし、するとしても、すでにわたしが、ポイントに到達していて、事がらを意識化できる、ようになっているときだけでした。ですから、彼の解釈は、聞いた瞬間的、そのとおり、と感じられるものでした。けど、彼は「きっとこうです」といった態度はとらず、仮の推測だ、と語ることが多かったのです。「こうじゃないかと思うけど……」とか、「……なのかしら?」とか、「……みたいに見えるね」とか、言うのでした。彼の言っていることを、わたしに、味見したり触ってみたりさせ、それを受け入れるか拒否するか、の自由が、わたしに、与えられている雰囲気です。つまり、わたしが象徴機能を活用法できると想定して、解釈を投与する、ということは、されなかったのです。当時のわたしは、象徴機能を活用できなかったのです。