うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

東京と、【依存状態への退行は、「癒しの過程」(Winnicott 1954b)です。それが始まるのは、分析者の内部ではなく、被分析者の内部のあそこ、そう「真の自己」(Winnicott 1949a,1960b)においてです。】

ka-gu2018-07-25

 


 急に、東京に行くことになり、朝に出て来ました。
 ねこさんは、大家さんに、ひーひー王子は、まり子さんにお願いして来ました。


 イベントの直前でもあり、身体が持つでしょうか?(笑)



 とりあえず、用件が済み、宿のある、足立区に入り、飲んだくれています。(笑)飲み潰れる前にアップします。(  ̄ー ̄)ノ






 ウィニコットの理論を、分かりやすく、まとめてくれている気がしたので、アップさせて頂きました。






 


 〜Winnicottは、彼の、長年にわたる綿密な研究、健康児と障害自宅の出生とその母たちについての研究、退行状態にある精神病患者の研究から、精神病を「環境欠損病」(Winnicott 1949a)であると考え、環境が適切であるか欠損しているかが決定的に重要である時期、にまで戻ることを要請しました。被分析者の方は、その時期でのいろんな出来事を、もう一度生き、もう一度演じ、分析者の方は、そうした環境を提供するわけです。つまり、必要な期間の「全面的で積極的な合わせ」と、その後のゆるやかな、合わせの撤去という環境です。「ほど良い」環境、「抱え」が確かであること(Winnicott1952b;Richard Rowland[1565ー1630?]の「子守歌」)は、原初の形での情緒発達(Winnicott 1945)がまとまって一個の人格となるのをサポートしますし、現実を見いだす(T.Traherne[1637?ー1674]の「はじめまして」)ことや、空想(錯覚や幻想)の能力や、創造性を見いだすことを、そして人間関係を築くことを、サポートし、シンボルやメタファーを用いる能力をサポートします(Sechehaye 1951)。
 依存状態への退行は、「癒しの過程」(Winnicott 1954b)です。それが始まるのは、分析者の内部ではなく、被分析者の内部のあそこ、そう「真の自己」(Winnicott 1949a,1960b)においてです。その自己部分が、いまなお原初における失敗を挽回したい、自分自身ニーズに対する充分な合わせを分析者の内部に見いだして、挽回をしたい、と思っているからなのです。必要なのは「技法」ではなく、「手当て」なのです、ことばでの解釈ではなく、直観に基づく振る舞いと処置なのです。しかし、そうした退行は、容易なものではありません。なぜなら、ごく早期の未統合状態への舞い戻り、へ被分析者を引き込むことだからです。過去の破滅体験を繰り返してしまう危険、があります。身体で反応(驚愕反射)するしかない刺激、によってもたらされる体験です。その破滅体験に対処するために、拒否の術もなく、理解もできないままの、無理矢理の統合をさせられてしまうこともあります。そうなると、無力のまま放り出されるので、何らの自己の境界も、コントロールも、無い状態となるのです。〜