うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

防災トイレと、【依存状態への退行は、「癒しの過程」(Winnicott 1954b)です。それが始まるのは、分析者の内部ではなく、被分析者の内部のあそこ、そう「真の自己」(Winnicott 1949a,1960b)においてです。】


 東京で、防災トイレなる物を見ました。

 こちらが、下水道に続いている、マンホールです。
大きな台風が、東海・近畿地方を前例のない、横断の仕方で通るようなので、災害に備えなければなりませんね!

 明日予定の、夏祭りでのライブが中止になりました!早めの判断、ありがとうございました!
明後日の、CBCさんのワーク・ショップはどうでしょうか?今、シルクスクリーンの原稿の修正をして、明日には型が完成しますが、延期でしょうか?

 東京には、こちらにない物が沢山ありました。アートのシーンや、音楽のシーンだけでなく、防災に対しても、色々と勉強させて頂きました!



 本は、コフート理論とその周辺に入りました。

 大学の蔵書印がありました。前回は、リトル先生の『原初なる一』だった気がしますが、そちらの本は、読まれた形跡がありましたが、こちらは、開かれた形跡が全くなく、カバーもきれいで、出版案内もそのまま入っていました。
 もう古典なので?必要ないのでしょうか?こんないい本を........本当にもったいないですね!


 



 〜Winnicottは、彼の、長年にわたる綿密な研究、健康児と障害児の出生とその母たちについての研究、退行状態にある精神病患者の研究から、精神病を「環境欠損病」(Winnicott 1949a)であると考え、環境が適切であるか欠損しているかが決定的に重要である時期、にまで戻ることを要請しました。被分析者の方は、その時期でのいろんな出来事を、もう一度生き、もう一度演じ、分析者の方は、そうした環境を提供するわけです。つまり、必要な期間の「全面的で積極的な合わせ」と、その後のゆるやかな、合わせの撤去という環境です。「ほど良い」環境、「抱え」が確かであること(Winnicott1952b;Richard Rowland[1565ー1630?]の「子守歌」)は、原初の形での情緒発達(Winnicott 1945)がまとまって一個の人格となるのをサポートしますし、現実を見いだす(T.Traherne[1637?ー1674]の「はじめまして」)ことや、空想(錯覚や幻想)の能力や、創造性を見いだすことを、そして人間関係を築くことを、サポートし、シンボルやメタファーを用いる能力をサポートします(Sechehaye 1951)。 依存状態への退行は、「癒しの過程」(Winnicott 1954b)です。それが始まるのは、分析者の内部ではなく、被分析者の内部のあそこ、そう「真の自己」(Winnicott 1949a,1960b)においてです。その自己部分が、いまなお原初における失敗を挽回したい、自分自身ニーズに対する充分な合わせを分析者の内部に見いだして、挽回をしたい、と思っているからなのです。必要なのは「技法」ではなく、「手当て」なのです、ことばでの解釈ではなく、直観に基づく振る舞いと処置なのです。しかし、そうした退行は、容易なものではありません。なぜなら、ごく早期の未統合状態への舞い戻り、へ被分析者を引き込むことだからです。過去の破滅体験を繰り返してしまう危険、があります。身体で反応(驚愕反射)するしかない刺激、によってもたらされる体験です。その破滅体験に対処するために、拒否の術もなく、理解もできないままの、無理矢理の統合をさせられてしまうこともあります。そうなると、無力のまま放り出されるので、何らの自己の境界も、コントロールも、無い状態となるのです。〜