うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夜勤と、【しかし教育者は、この原始的要求それ自体が害悪であるかのように、(先に述べたように重要なエネルギー源であるにもかかわらず)それを一掃しようとすることがあまりにも多いのです。】



 今日は夜勤です!
色々と用事もありますが、皆さんが起きている間は、一緒に過ごさせて頂いています。
 週末は、帰宅する方がいたり、帰宅されない方がいたり、ショートさんは、週末に定期の方がおられて、週末も賑やかです。
夕食後、少し落ち着いてから、皆さんいろんなことをして、楽しまれていますが、自分が夜勤の日には、いのうえっちが、皆さんを笑顔にしてくれます。


 一仕事終えて事務仕事をする前にアップさせて頂きます。下準備は、お昼にしてあるので、写真を入れるくらいですが(笑)


 今日は、送迎シフトの印刷をしに、朝に事務所に寄った帰りに、ファミマで読みました。





 下記は、本当にそうですね!教育というのか?人に何かを教えるというのは、本当に自分的には怖いことです。先生と言ってほしい方が周囲には沢山いますが(笑)中国人の友人が、先生というのは目上の人の事で、目上の人に書簡を出すときに、名前の下に先生と書くんだと教えてくれたことも思い出しました。その人にとって良い学習、悪い学習を中々明確にはできませんが、それを感じて、分けていくのが自分たちの仕事の様にも思えました。

 『たとえば清潔習慣は生得的ではありません。遺伝特性ではなく、学ばなければならないのです。子どもがこの教化の影響を受けにくいと考えているわけではありません。けれども教化なしに清潔になることはできないと、思います。』


 

 下記も同じようなことを言っている感じがします。退行は悪いことだと思われがちですが、自分だけで受け止めることができない時に、ふと、心が休まることを無意識でみなさんきっとしていると思われます。おそらく、自分がやっていても気づかないで、他人がやっていたら見下すような感じをおぼえるのでしょうね。そこに同一化できれば、そこから引き上げる方法が、自ずと見えて来そうですが、それに気づくのも、学習だけでは無理なのかも知れません。
 『もしそれを知らずに子ども、もつようなその種の困難に残忍かつ盲目的に怒ったとしたら――それによって抑圧が引き起こされ――そのエネルギーを間違った方向に導きます。』






  生まれもった素質はあるでしょうが、その影響は成功者の経験によって、あるいは教育によって修正されうるのです。遺伝と同様、個人的原因も考慮に入れねばなりません。たとえば清潔習慣は生得的ではありません。遺伝特性ではなく、学ばなければならないのです。子どもがこの教化の影響を受けにくいと考えているわけではありません。けれども教化なしに清潔になることはできないと、思います。

 幼い子どもの自然な傾向は、自分自身を愛する方向に、そして同じく子どもが自分自身の一部とみなすものすべてを愛する方向に向かいます。大便は実際子どもの一部であり、主体と客体の中間物です。子どもはまだ自分の排泄物にある種の感情を持っており、もちろん大人もこの態度の痕跡を示します。私はいわゆる正常な人を分析することが時にありますが、この点に関して彼らと心理学者の間の本質的な違いに気づいたことがありません。ただ後者は汚物に対しいくらか強い無意識的関心をもつようです。フロイトによればヒステリーが性的倒錯の否定であるのと同様に、正常者の清潔習慣も噴出変化関心に基づいています。しかしそれを悲しむには及びません。というのもまさにそのような原始的奔流が文明の偉大な業績のためのエネルギーを私たちに与えてくれるからですが、もしそれを知らずに子ども、もつようなその種の困難に残忍かつ盲目的に怒ったとしたら――それによって抑圧が引き起こされ――そのエネルギーを間違った方向に導きます。反応は個人の素質の違いによってさまざまでしょう。ある人は神経症者になるかもしれませんし、ある人は精神病者に、またある人は犯罪者になるかもしれません。しかしここで私たちがよく分かっていて、子どもたちを慎重に扱ってある程度まで彼らの衝動に応じて好きにさせ、他方で衝動を昇華させる機会を与えるとその道はずっと穏やかになり、子どもたちは自らの原始的要求したら舵をとって有用性という小道へ向かうことを学びます。しかし教育者は、この原始的要求それ自体が害悪であるかのように、(先に述べたように重要なエネルギー源であるにもかかわらず)それを一掃しようとすることがあまりにも多いのです。