うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スイカとブドウと、【「自我」は、遺伝されたものではない環境からの獲得物で豊かになります。】


 この立派なスイカは、先日、スイカ農家の利用者さんから2つ頂いたものの一つです。
夜勤明け、記録を書いていて顔を上げたら、何となくかっこ良かったので(笑)写してしまいました。
 もう一つの方は、美味しかったので、こちらもきっと美味しいと思われますので、楽しみです!
皆さん、好きな方は、ぱくぱく食べられていました。

 夕方、すろーじゃむの換気と除湿と、入浴リフトのシャワーキャリーを交換するとのことで、取り敢えず車に載せて来ました。
ついでにぶどうを見てみたら、ほぼこのまま熟すだろう大きさになっていました。何とか梅雨を乗り越えたいところです。
 北海道の友人から、殺菌剤を使った方が良いのでは?と言われましたが、今年も、成り行きに任せるつもりです。






 

 本は、夜勤明けに読みましたが、帰宅したら本が来ていました。イントロダクションを読ませて頂きましたが、イントロダクションだけでも、非常に勉強になりました。アップはまだまだフェレンツィです!
 何が自我で、何が超自我と言うのが、分かり易い箇所でしたので、アップさせて頂きました。




  〜子ども時代を非常によく覚えていた患者がいました。彼は決して私たちが良い子と呼ぶような子どもではありませんでした。むしろわんぱくで毎週のように、時には何もしないうちから、叩かれていました。たたかれている時に彼は突然、はっきりと意識してこう考え始めました。「僕がお父さんで僕の子どもが殴られているのならどんなにすてきだろう!」。この言葉で彼は、空想の中で当時すでに将来して父親役割を彼が想定していたことを示しています。 こうした同一化は人格の一部の変化を意味します。「自我」は、遺伝されたものではない環境からの獲得物で豊かになります。これは人間が良心的になる仕方でもあります。はじめ人は罰を恐れますが、そのあと罰する権威と同一化します。そうすると子どもにとって実際の父親と母親はその意味を失うでしょう。子どもは自らの内界にある種の内的父親と母親を作り上げたのです。こうしてフロイト超自我と呼ぶものが実現します。  したがって超自我は自我と環境の一部の相互作用の結果です。皆さんがあまりに厳しすぎると極度に厳しい超自我を子どもに与えるために、子どもの人生を不要に阻害しかねません。