うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこさんと、いぬさんと、昨日の写真と、【患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。】


 夜勤明け、休憩を兼ねてファミマで本を読んでから帰宅したら、いぬさんと、ねこさんが、気持ちよさそうに寝ていました。
お二方とも、高齢なので、昼間もうとうとですね。昨日の血液検査で、いぬねこのアレルーギーが出てもそれはそれで、まあいいやと思っています(笑)。今更、良くないか?ですね(笑)




 昨日の写真を整理していたら、素敵な写真があったので、アップしました!
利恵さんは、なんとなく松田聖子時代のアイドル的な雰囲気!

こちらは、楽器のシャッフルの瞬間です。(笑)
男性陣は、自分が触りたい楽器をどんどんシャッフルされていました。喧嘩がおこならかったのが不思議なくらい、みなさん次々に違う楽器へと移って行きました。





 下記は、学歴や職歴をただ並べても、現場できちんと支援が出来ないことには、双方が納得できないのではないのか?と遠回しに行っている気がしました。 自分たちのような弱小な施設は、信じて頂いてこそなんぼのもんですね。 そのために日々みんなで努力させて頂いています。
 『患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。』


 それまでには、ご利用者さんだけでなく、親御さんたちの抵抗をもきちんと受けなければ、本当の信用は生まれません。
 『遅かれ早かれ抵抗は治療目標と分析家にその鉾先を向けるのを忘れないでしょう。』






 〜分析は、あらかじめ定められた計画を現実のものとしようとする建築家の仕事と捉えるより、私たちの目の前で起こる発達過程と捉える方が適切です。したがって、分析過程に従うならばいずれは自らについてずっと多くを知ることができること、そして最後までやり抜けば人生の避けがたい困難に今まで以上の水準でより適切なエネルギー配分で適応できるであろうこと、いかなる場合でもこれ以上を被分析者に約束する誘惑に負けてはなりません。必要ならば、私たちは精神神経症や性格障害のこれ以上良い治療法も、多分これ以上根治的な治療法も他に知らないと言ってもかまいません。私たちは、はるかに早くはっきりとした治療の見込みを期待できる他の方法もあることを患者に秘密にすることは絶対ありませんし、また患者ができる暗示療法、作業療法、あるいは意志強化法を用いた治療をすでに何年も受けたと言っても気分を害することは全くありません。そうしたものを受けていないときは、私たちと関わる前にもっと期待できるそれらの治療方法を試すかどうか患者に任せます。しかし、私たちの方法や理論を信じていないという患者のおきまりの反論は認めません。私たちの技法は、そのような先取りの信頼などという過分な賜り物をはじめから期待していませんとまず説明します。患者は、治療の経験によってそれに値することが分かったときに私たちを信じればよいのです。もう一つの反論、つまりそういうこうしたやり方で分析家は、治療が万一失敗ときすべての責任を患者の短気のせいにするのだろうという反論を覆すことは私たちにはできませんので、この難しい条件のもとで治療のリスクを負うかどうかを患者に委ねるしかありません。こうした趣旨にそって患者側の問いをはじめに正しく片づけておかなければ、もっとも危険な武器を患者の抵抗の手に渡してしまいます。遅かれ早かれ抵抗は治療目標と分析家にその鉾先を向けるのを忘れないでしょう。