うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

爪と、今日の散歩と、素敵な服と、【人は、対象への愛を断念して深く傷つかないということはないからである。】


 ショートの利用者さん達の爪が、長い時があり、親御さんに許可を得ていないと中々切りづらいですが、これだけ伸びていたら、その内割れるので、あまりにも長い場合は、切らせて頂いています。ただ、深爪をすると、卷爪になり易くなるので、深爪はしていません。
 一度、足の爪が異常に長かった方が、次週ご利用頂いたときに、爪が見事に剥がれていた時があったので、切るようになりました。

 今日は、珍しく休みだったので、日中の職員さんが散歩の写メを送ってくれました。
楽しそうに歩かれていますね!滝頭公園でしょうか?


 利恵さんは、今日は日中の施設の日帰り旅行だったので、女性職員から頂いた素敵な服で行かれたようです。こちらも、写メを送ってくれました。帰宅時に写したので、疲れていますね。朝に写して頂けたら良かったですね!
 でも可愛いですね!自分はよくわかりませんが、ブランドの服だそうです。




 また、一ヵ月振りくらいにジムに行って来ました。
身体を動かすのは気持ちよくていいですね!散歩に行けなかったので、ジムで約一時間走りました(笑)。
基礎体力だけはあります(笑)。頭にも体力と筋肉をつけたいのですが(笑)。どうやったらつくのでしょうか?


 本は、ジムが開くまで、読みました。フェレンツィですが、こちらにもう移った方がいいでしょうか?でも、もう少しバリントでいきます。(笑)

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自体愛だけが支配する人生段階などない。対象よりなる世界から十分な満足を得るのに失敗したとき、自体愛が慰めの手段として自らを提供するのである。欲求不満がさほどでなければ、そういうことが起きても格別の騒ぎにならない。しかし、自体愛の機能に負担がかかりすぎると、まもなくいろいろな病的現象になる。自体愛行為は変質して嗜癖となる。逆にならない自体愛に、母親(あるいは母親役)への異常な依存と病的なしがみつきとなって現れるのであろう。一方、自体愛の抑止の程度があまりはげしくなければ、それは、子どもの教育上好ましい程度に対象への愛着を強化する。年齢ごとに自体愛と対象への愛着との間の最適な割合がありそうである。この均衡は弾力的である。すなわち一方の欲求不満は他方の満足によって埋め合わせがつけられる。もっとも、これには限界があるが――。この状況は情動生活における現実感覚の発達を保証する。人は、対象への愛を断念して深く傷つかないということはないからである。