うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【乳児は最初、無慈悲なのである。本能的な愛の結果については、まだ思いやりがない。この愛はもともと衝動、身振り、接触、関係という形をとり、幼児に自己表現の満足と本能的緊張からの解放の満足を与えて、さらに自己の外側に対象を位置づけるのである。】


今日、福祉車両に乗ったら、走行距離に1ばかり並んでいたので、良い一日になるのかな?と思ったら、車がパンクしたり、給湯器が故障してお湯が出なくなったり.....。
逆の事ばかりおきました........。
 数字は関係ないですね(笑)


 今日の日中は賑やかでしたが、男性陣がすろーじゃむでの入浴になったので(昼も夜も)お昼から19時まで渥美にいました。
午前中は、絵を描いたり、ジャスコに買い物に行ったりしました。
 時々風雨が酷かったので、外出や、学齢児さんの入浴介助時の送迎の時には、運よく雨が止んでいたので助かりました!



 本は、学齢児さんのバスを待つ間に読みましたが、アップは昨日の箇所です。
抑うつポジションの復習をきちんとできるので、忘れていたことも思い出しました。まだ、完全に理解できているとは思ってはいませんが、それこそワークスルーしないといけませんね。
 下記は、ウィニコットが記述している時期に、抑うつポジションがおきなければ、偽りの自己が、その生来的にある、抑うつポジションを覆い隠してしまうので、ないことになってしまうのでしょうか?ほど良い母親の重要性が理解できそうな気がします。
『その現象において抑うつポジションは生来inherentの要素なのである。』




 〜“抑うつポジション”という用語は、正常な過程についてつけられた名前だが、しかしだれもこれより良い名前を見つけだせてはいない。私自身の提案ではまたこれが“思いやりの段階stage of concern”と呼ばれるべきだということだった。私は好ましい言葉の方が、この概念を簡単に紹介できると信じている。メラニー・クラインは彼女自身の記述の中に、“思いやり”という言葉を含めている。しかしながら、この記述用語は概念全体を包含してはいない。これからも、最初は用語は存続するのではないかと私は恐れているのである。 病気を意味する術語は、正常な過程が記述される場合には使われるべきではないということが、今までしばしば指摘されてきた。抑うつポジションという用語は、健康な幼児が抑うつあるいは感情的な病の段階を通過することを意味しているように見える。しかし実際は、そのようなことを意味しているのではない。 Spitz(1946)が、普通のよい世話を奪われた乳幼児に抑うつを見いだしてこれを記述する時、彼がこれを抑うつポジションの例ではない、と言うのは正しい。事実それは、抑うつポジションと何の関係もないのである。Spitzの描いた赤ん坊たちは、人格を奪われdepersonalizedていて外的接触に望みを失い、そしてとりわけ抑うつポジションの達成のための必須条件を欠いている。 正常発達における抑うつポジションという概念には、幼児が普通に、抑うつ的になるという意味合いは何もない。しかしながら一般に、抑うつは1つの病的症候であり、1つの気分を示唆し、無意識になりうる無意識的コンプレックスを意味する。その無意識的な過程は、罪の感情を取り扱わねばならず、そしてその罪の感情は愛するということに固有の破壊的要素に属している。感情障害としての抑うつは、分析不能でも正常な現象でもないのである。 ならば、このいわゆる抑うつポジションとは何物であろうか。 “無慈悲なruthless”という言葉から始めることは、この問題に接近する手助けとなるだろう。(われわれの観点から言えば)乳児は最初、無慈悲なのである。本能的な愛の結果については、まだ思いやりがない。この愛はもともと衝動、身振り、接触、関係という形をとり、幼児に自己表現の満足と本能的緊張からの解放の満足を与えて、さらに自己の外側に対象を位置づけるのである。 乳児の方は、自分が無慈悲だとは感じていないということが注目されるべきである。過去を振り返る時に(そして退行状態でもこれが起きるのだが)、その個人は、次のように言うことができるのである。私は当時、無邪気ruthlessだったなあ!この段階が、前−慈悲pre−ruthの段階である。 すべての正常な人間の発達史の中で、いつか前−慈悲から慈悲への交替がやってくる、誰もこのことを疑わないだろう。ただ問題は、それが何時、いかにしてどんな条件の下で起こるのかということである。抑うつポジションの概念は、これら3つの質問に答えるための1つの試みである。この概念に従えば、無慈悲から慈悲への変化は、母親の育児(マザリング)というある一定条件の下で、およそ5カ月から12カ月ぐらいは期間に徐々に起こり、そしてその確立は最終的なものではなくてずっと後になることもある。そしてとりわけ抑うつポジションが全く起こらなかったということも、分析では見出だされるかもしれない。 抑うつポジションはそれゆえ複雑な事象であり、あらゆる個人が人間として、前−慈悲から慈悲へ、あるいは思いやりへと発現していくemergenceという現象については議論の余地がなく、その現象において抑うつポジションは生来inherentの要素なのである。