うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

【一方で抑うつポジションというのは、個人の成長についての徐々に力づけられる証として、6ヵ月から12カ月のあたりに置かれるものであり、その成長は、感受性豊かで絶え間なく続く環境の提供environmental provisionにかかっている。】


久しぶりに、何か投げ入れたくて、朝のひーひー王子との散歩で、適当に頂いてきました。
さくらんぼや梅の花が満開ですが、あえて枯れた雑草を選んできました。
明日も忙しいので、夜勤の日の昼間にキチンと入れ直そうと思っています。
 何とか強い発作は治まりましたが、激しく咳き込むと体力を消耗してしまいますね......。
今日は休みだったので、ゆっくり過ごし、外に出たのは朝の散歩と、灯油を買いに行った時だけです(笑)
 給与計算もしないといけませんが、遠くに置いて(笑)座って(いつもはストラップをつけて立って弾きます)ギターを弾きました。
ウイスキーがおすきでしょは、もう大体大丈夫です。スイート・メモリーも感じはつかめたのでもうちょっとですね。三日月は、一か所アレンジが気に入らないのでそこが完成すれば通して弾けます。有酸素運動的にならないように(笑)今日は過ごしました。ギターをこんなに弾くのは何年ぶりでしょうか?
 心身ともにリフレッシュできました! 今年は何曲アレンジできるでしょうか?





 本も少しだけ読みましたが、今日は白柳先生の本を読みました。アップは昨日読んだ箇所です。
 下記は、退行の事を描いているのでしょうか? 
『われわれは、抑うつポジションの達成に関する必須科目条件を述べることができる。われわれは、引き合いに出すことのできる多くの実際的経験を持っている。なぜならわれわれは、患者たち、つまりさまざまな年齢の患者が、うまく進行している分析という明確な状態のもとで、情緒発達のこの段階に達するのを見守ることを意味数多く経験してきたからである。』



 タビストックの乳幼児観察(しつこく書きますがw)の重要な点は、ここにもありそうですね。
『一方で抑うつポジションというのは、個人の成長についての徐々に力づけられる証として、6ヵ月から12カ月のあたりに置かれるものであり、その成長は、感受性豊かで絶え間なく続く環境の提供environmental provisionにかかっている。』



 こういう記述を読ませて頂いていると、やはり義務教育の段階で、この辺りを分かり易く教える価値があるように思ってしまいます。
『もしそれまでに起きたすべてが当然のこととして保証されるならば、全体としての赤ん坊wholebabyが全体としての母親whole motherに関係するという話が語られるところで、抑うつポジションが達成されうる段階が設定されたと言うことができる。もしこの全体性wholenessが保証されないならば、抑うつポジションについて私が述べなければならないことは、すべて不適当である。』



抑うつポジションは、離乳期に属する達成である。もしすべてがうまくいっていれば、抑うつポジションは、その1年目の後半のどこかで到達され、確立される。多かれ少なかれ健康な発達においてですら、抑うつポジションが確立されるには、しばしばそれ以上の相当な時間がかかる。分析を受けている多くの子どもたちや大人にとって、抑うつポジションへの接近または再接近は分析の重要な特徴である、ということもわれわれは知っている。それは進歩を示唆しながら、同時にこの発達段階における初期の失敗を意味する。厳密な年齢が決められる必要はない。多分6ヵ月より早く抑うつポジションの時期に達する幼児もいるだろうし、あるいは、ずっと早い子もいるかもしれない。このような達成は、好ましい特徴となるだろう。しかし、そのことは抑うつポジションが確立された現象となったことを意味する、というわけではないだろう。もし抑うつポジションが、人生の最初の6ヵ月間の発達にあると分析家が過度に主張するのを私が見たとしたら、私は次のようなコメントを述べたいと思う。信じるのを困難にさせてしまうことによって、価値ある概念を台なしにするとは言って何と残念なことだろう、と。 私が最初の数ヵ月に抑うつポジションの時期を求めないのは、私が早期幼児期に何も異変がないと思っているからではない。そのようなことは断じてない!スタートのその時点から、そしてそれこそ生まれる前から、たくさんのことが起こるのである。しかし、抑うつポジションに含まれることが、ある期間にわたって不安や望みを抱えることというような高度に複雑な問題なのかどうか、私は疑問に思う。にもかかわらず、もし赤ん坊が生後1週間目で抑うつポジションの時期を体験することが結局証明されたとしても、私は悩まないだろう。一方で抑うつポジションというのは、個人の成長についての徐々に力づけられる証として、6ヵ月から12カ月のあたりに置かれるものであり、その成長は、感受性豊かで絶え間なく続く環境の提供environmental provisionにかかっている。 われわれは、抑うつポジションの達成に関する必須科目条件を述べることができる。われわれは、引き合いに出すことのできる多くの実際的経験を持っている。なぜならわれわれは、患者たち、つまりさまざまな年齢の患者が、うまく進行している分析という明確な状態のもとで、情緒発達のこの段階に達するのを見守ることを意味数多く経験してきたからである。もし、抑うつポジションに達したならば、より早期の段階は、実生活や分析またはその両方において、すでにうまく通り抜けられたに違いない。抑うつポジションに達するためには、赤ん坊は1人の全体的人格whole personとして確立されていなければならないし、1人の全体的人格として複数の全体的人格と関わるためにもそうである。ここでは、私は、乳房も全体的人格としてみなしているが、それは赤ん坊が1人の全体的人格になるにつれて、乳房、すなわち母親の身体が、彼女のどの部分であれ、そこに何があろうとも、最後には赤ん坊によって一個の全体的なものとして認知されるようになるからである。 もしそれまでに起きたすべてが当然のこととして保証されるならば、全体としての赤ん坊wholebabyが全体としての母親whole motherに関係するという話が語られるところで、抑うつポジションが達成されうる段階が設定されたと言うことができる。もしこの全体性wholenessが保証されないならば、抑うつポジションについて私が述べなければならないことは、すべて不適当である。幼児はまさしくそれなしにやっていくし、また多くがそうしている。事実スキツォイドのタイプには、意味のある抑うつポジションの達成がないのかもしれない。そこでは、償いreparationや修復restitutionとして記載されるものがないので、魔術的な再創造が利用されなければならない。私は、上記のような必須条件が欠けているのに、患者の中に抑うつポジションを捜し出そうとする分析家を知っている。もちろん失敗を目の当たりにすることは哀れであり、その結果として、抑うつポジションが間違った概念であると結論することに、説得力があるとは言えない。そしてこれとは逆に、分析家たちはそれが中心的な問題ではない時に、抑うつポジションの現象を立証しようとすることもある。すなわち、幼児期の単一体unit statusを獲得して抑うつポジションがすでに達成された患者の分析において、立証しようとするのである。〜