今日の投げ入れと、今日のおっちゃんの夕食と、【その患者には、さらなるKを唱えると患者が思い込んでいる分析家についていくより、人格の低落や“人格の死”という代価を払ってでもKがない方がずっとよいのである。】
今日は、朝からバタバタしていて、送迎やお歳暮を持って行ったり、市役所に行ったりして、事務仕事をしに自宅に戻って来たら、ひーひー王子の朝の散歩に行くのを忘れていて(笑)飛びつかれたので、近くを一周してきました。
その時に咲いていた山茶花を一枝頂き、気分を落ち着かせるために投げ入れましたが、気分がそのまま出たような投げ入れになってしまいました。
事務仕事をしながら、気分を落ち着かせたら、少し冷静になったので投げ入れ直しました。冷静になると面白みがなくなりましたね(笑)
ちょうどその間が良いのかもしれませんね(笑)
事務仕事をやっていたら、あっという間に学齢児さんの入浴介助の時間になり、渥美に走りました。
入浴介助後、洗濯待ちの時間がもったいないので、近くのスーパーでお惣菜を買って食べました。周囲に野菜をもっと食べろといつも言われるので(笑)これでどうだ!と写メを送りましたが、親分も看護師さんも、青い物がないとのことでした(笑)洗濯待ちで買って食べるのなら上出来でないでしょうか?
ちょっとご飯が多かったです(笑)。洗濯物を乾燥機に入れて、遅番に入り、今帰宅しました。
本は学齢児さんのバスが遅かったので、沢山読めました。この章がやっと終わり、次の章に入りましたが、同じ方の論文でした。
この章は、本当に勉強になりました。今日のアップは短いですが、大事なことが凝縮されていると思います。
〜自分のKをさらに向こうへと広げられないポイントがそれぞれの患者に存在する。どんなKが存在したり欠けられたりしているかを分析でよく調べることが、患者の発達水準についてのおおよその指標をもたらす。その子は情緒的にK出来ないので、全知識領域が分析から欠如していよう。時には、分析の核心が患者との間で意味の合わないというところとなるのだが、その患者には、さらなるKを唱えると患者が思い込んでいる分析家についていくより、人格の低落や“人格の死”という代価を払ってでもKがない方がずっとよいのである。さらなるKは利益をもたらすどころか、耐え難い葛藤やコントロールできない情緒、迫害的精神病状態、躁、うつさらにはまったくの解体さえ引き起こすと恐れる。そのような分野では、分析家や分析作業への患者の恐れと反抗は、Kへの反抗である。〜
下記は、上記をもう少し理解できるようにアップしました。
〜抵抗や敵意のこの源泉は、13歳の女の子で私が見逃してしまったように見逃されやすい。彼女は四人同胞の長女で無口で陰気でものうい少女だった。両親は真剣に子どもたちの世話を焼いていたのだが、自分たち自身の相当な心理的障害も抱えていた。父親は彼女の出生後に2度の精神病エピソードを体験していたし、母親は恐ろしくもあり腹立たしくもある馬鹿げた風に日々のできごとやふるまいを劇化していた。自宅での不機嫌や強情さ、学校での成績不振がみじめさのために患者は分析に連れてこられたのだった。彼女の疑いと不安にもかかわらず、分析の初期段階では彼女は上手に発行とコミュニケートしたので、私は彼女を理解できた。このことはセッションでの彼女の反応や生活での幾等かの改善から明らかだった。 しかしながら、この分析の中期には、彼女はふれあいにくくなっていった。和らいでいた不機嫌な敵意はかえってひどくなった。セッションのたびに、無愛想、だれた風に人と動物の農場場面を並べた。退屈さがセッションを覆ってしまい、私は目を覚まして置くのに必死だった。私の解釈に彼女はまったく反応しないし、遊びの変化もないし、転移の中に私自身をうまく位置づけることもできなかった。彼女の素材は最低限の変化しか見せなかったが、理解されていないので繰り返されているのみだと私はとてもあせってきた。大まかに言うなら、素材のキーは憎しみ(H)であると私は受け止めていた。彼女の不機嫌さや沈黙を敵意と理解していた。彼女が自分を防御している、口唇水準では口に封をして私から彼女に何も入らないようにしている、迫害してくる対象である私へのHの出現である。ビオンの業績が解明の明かりを授けてくれた:キーはHではなくKであった。 私は彼女の素材に別のアプローチをしてみた。私が敵意と見なしていた不機嫌な抵抗を彼女の心がくすみ、死んだことと私は理解した。セッションを覆っていた退屈さのとばりは、私たち両者の心の目が死んでいることなのだった。私は、どちらも考えないように気がつかないままにしておくニードを彼女が感じていること――彼女は私を知らないし、私も彼女を知らない――を示した。2,3セッションで農園遊び道具やめ、彼女は新しい素材を持ち込んできた。口にセロテープの封をさした。それから背中の丸まった不恰好な二人の人物像を描いて、その下に“年金老人”と書いた、彼女は手を挙げてのちょっとの間セロテープを口からはずした。彼女がふたたび口をふさぐ前に、ぞっとすゆがんだほほ笑みを私は見た。そのほほ笑みは彼女の両親、背中が丸まった心理的に不恰好な年金老人−両親についての歪んだ興奮だった。もし対象の欠点を自分が知るのなら、歪んだ押さえられない躁状態がとりついてしまうと彼女は脅えていたようだった。彼女がそれらを知っているという知ることの苦痛から対象が免れるようにとも望んでいたと思う。彼女の精神機能のぼやけや私たちの間でのつながりの死は、ふたたび動き始めた分析の中で私が示そうとしてきたように――知らないでいる、あるいは知っていることを知られないでいるためだった。 フロイトは精神分析を創りだしたころから、K、知識が治療過程の中核にあると考えていた。たとえば、フロイトは書いている:「医者として私たちの仕事を次のように公式化している:患者の中に存在している抑圧された衝動を、無意識を患者の知識にもたらす。その目的のために、自分自身についての知識のこの拡大に逆らう抵抗をあばく」(1911, p,159)。ビオンの業績は、そのような知識についての――患者にとってであり、分析家にとってでもあるという――さらに深まった理解をもってフロイトへと私たちを戻す。分析で患者が得る洞察は、分析家とつながっている心的現実についての情緒的体験である原初的なとり入れに基づいている。同様に、分析家の理解も原始的で最も深いところでの患者を知ることの情緒体験に基づいている。すなわち、患者の投影同一化を受け入れ、包み込み、考えることを通してである。ビオンの思索についての概念、Kを成し遂げるためのコンディション、マイナスKに陥ること、精神病者のno Kをともなう混乱した“思索”についての業績は、これからの長い歳月に展開していく患者との作業の豊かな源泉や力強い触媒となり続ける、と私は確信している。