うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

かぼちゃと、【しかし、ピアジェがはっきりと指摘したように、空間とはニュートン的な絶対空間ではなく、同様に時間も絶対的な時間ではないのであり、それらはともに構築物なのである。幼児や子どもは彼らの対象群や空間を構築しなければならないのであり、アインシュタインのモデルが示しているように、空間とは対象群の総体的な位置づけの事である。】


 昨日、夜勤前にアップしていたと思っていたら(笑)アップしていない事、夜勤の休憩時、気が付きましたが(笑)時既に遅し……今日の午前2時になっていたので(笑)アップを諦めました。
 写真は、文化会館にあった、ハロウィン用のかぼちゃです。素敵なので写真を撮らせて頂きましたが、作品にしたいなと思いました。


 昨日も今日も、頑張ってほんの少しだけですが、本を読む事が出来ました。今日は明けのボーっとした頭だったので、ただ読んだだけかもしれませんが(笑)取り敢えず、継続はできました。


 今日は夕方、うたたのホームページを作って下さった、ウェブデザイナーの方が来て下さり、完成に向けてレクチャーしてくれ、その後会食させて頂き、その方と引き合わせて下さった、昨年亡くなられた、元理事である、平野さんのご自宅に伺い、お参りさせて頂く次第となっています。
 うたたは、本当に皆様の支援があってのうたたなので、今後とも、皆様のご理解・ご協力の程、宜しくお願い致します。
現場の方も、職員一同少しずつではありますが、階段を上がっていくことができており、平野さんの前で色々な報告ができたらいいなとも思っています。  





 中々、この章が終わりませんが、重要なことが沢山書かれているので、じっくりと焦らず読み込んで行きたいと思っています。精神分析が万能とは思いませんが、天才的な先人の知恵は、利用しない手はないと思います。
 取り敢えず、一日遅れのアップです(笑)

ボーダーライン患者における空間的-時間的連続性と移動
 さて、これまで述べてきた臨床所見を、異なる知的系列としての空間と時間を組織化という点から検討してみよう。ピアジェ派の観察、見解や構成概念が、顕在的潜在的に広く用いられてきているが、決してそうした見地しかないというわけではない。この作業する主要な源泉は、治療や精神分析的精神療法のスーパービジョンを通して得られる臨床所見とデータの解釈である。 ピアジェや弟子たちが研究してきた、空間、移動、時間という外界現実の構造に関する研究を精神分析がしてこなかたという理由によってのみ、私はピアジェの研究を利用してきた。

 〜閉所恐怖および広場恐怖の患者が体験するあらゆる種類の身体的・精神的状況は、すべての二次的状況がその代理や象徴となっている原初的状況に深く関連しているようである。
 閉所恐怖の人たちは閉ざされた状況にいることを恐れており、彼らは極度の不安や恐慌をきたし、逃げ出したくなる。“状況”は部屋であったり、交通渋滞であったり、結婚であったりする。彼らは包まれていないときに広場恐怖となり。不安や恐慌をきたす。こうして彼らは家と引きこもたっり、ひとりでは安全な場所以外には行けなくなったり、誰かについていてもらわねばならなくなったりする。こうした状態の出現はよく知られている。しかしながら、この状態が精神分裂病における実に基本的な状態だと私が観察したとき、私はそれにはとても重要な意味があることに気がついた。基本的な状態とは、シゾイド患者や精神分裂病患者の行動が純粋に現象学的精神医学的接近法から評価されるときには明らかでなくとも、彼らが力動的治療の文脈において観察されるときには常にです彼らは閉所-広場恐怖の基本的な恐怖を示しているということを私は言っている。ゾイド状態の精神的情緒的障害とは、発生論的に言えば、ヒトの早期の原初的な基本的組織化における障害である。ピアジェが唱えた空間の早期の構造化の重要性ということから、私は空間、動作、時間の早期組織化の点からシゾイド患者の生き方を説明しようと思い立った。



1.幼児とその世界の空間的発達
 胎児は最初、それ自体母親に包まれている子宮の中に包まれている。胎児はある程度動くことはできるが、動作と移動の自由を相対的に奪われている。一方、胎児は母親の外界空間を母親とともに移動する。誕生後は、母親は世話をしたり乳を与えたり暖かくしてやるなどして、赤ん坊のためにこの子宮の状態を一部再創造するとも言えるだろう。>制約は多いが、赤ん坊のパーソナルな空間は子宮の中よりも赤ん坊に自由を与えてくれる。これを(カンガルーなど)有袋動物の空間と呼んでもよかろう。いまや赤ん坊は母親の空間の中で活動するが、赤ん坊のパーソナルな空間は、母親の空間のほんの一部分なのである。成長するにつれて彼のパーソナルな空間は拡がり、母親の空間と一致するに至るが、母親が、正常ならば、たとえば閉所-広場恐怖でないならば、その空間は、主体が対象群のなかのひとつの対象であるような普遍的な空間と一致することであろう。この過程と同時に、主体の内的な空間が形成されるが、そこでは精神内界の対象群が内的関係において生きている。それらは、たとえば感覚として加工が加わった知覚として、最初は非常に具体的に体験され、もっと洗練された後には非常に複雑な性質の表象群として体験される。 誰もがある種のパーソナルな外界の空間を持ち続けているようである。それは動物行動学における縄張りの概念に似ており、その空間の中での私たちの対象関係は普遍的な空間におけるそれらとは幾分異なっている。しかし、ピアジェがはっきりと指摘したように、空間とはニュートン的な絶対空間ではなく、同様に時間も絶対的な時間ではないのであり、それらはともに構築物なのである。幼児や子どもは彼らの対象群や空間を構築しなければならないのであり、アインシュタインのモデルが示しているように、空間とは対象群の総体的な位置づけの事である。