うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【内的人物との幼児性の投影同一化が行動化されるのが、この性格のとても際立った部分なので、これが患者の大人としての生活を汚すものであることを継続的に示し出して行かねばならない。】


今日は遅番でした。
重度の方が多い中、今日の配置の中では経験年数のある職員が軸となって、職員同士がきちんと連携で来ていて、自分も安心して支援ができました。
 ある面、うたたねは、小羊学園さんみたいに、いきなり重度の方々の支援から入ると、それが当たり前になるのかも知れませんね!
人間、一人では何もできません。出来ていると思っているなら、昨日アップした箇所のように『それを、大規模な投影同一化massive projective identification の必然的な産物であるうぬぼれと一人よがりだけが支え補ってくれる。』だけなのかも知れませんね。
 写真は、夕食前にショートの方とドライブした時の物です。彼女も支援が難しいですが、昨日、今日と入ってくれた女性職員が機転を利かせてくれ、穏やかに過ごすことが出来ていました。




 今日も早めに出て、マックで昼食を摂りながら、本を読みました。
 今日は、下記につきますね!
  明日は早いので、ギターを少しだけ弾いて寝ます(笑)もう少しで『ウィスキーがお好きでしょ』がマスターできます(笑)

『内的人物との幼児性の投影同一化が行動化されるのが、この性格のとても際立った部分なので、これが患者の大人としての生活を汚すものであることを継続的に示し出して行かねばならない。たとえ強力な反撃に出会ったとしても、この詳しい検索は、仕事、“創造”活動、子どもや兄弟との関係、あるいは年老いていく両親への変わらぬ気遣いや世話といったもっとも大きな誇りや満足の領域をも含まねばならない。』





転移の性質
 多くの場合、乳房やペニスと言った部分対象レベルでの内的対象群とのこの形での大規模な投影同一化が活動していると、分析過程での大人の協調性が分析家への偽-協調性や“お手伝い”に置き換えられる。この行動化には、どこか卑屈な振る舞いの中に入れて分析家に説明してみせ、手伝い、納得させ、分析家の苦労を軽くしたいとの欲望が現れてくる。それゆえ、しばしば、分析素材は消化しやすいもので、“見出し”風だったり、心の状態についての上っ面の解釈としてもたらされる。解釈を引き出したいという患者の願望はまったく欠けており、それは分析家から称賛、承服、感服できないさらには感謝までも得ようとする明らかな欲望に取って代わられている。これらが手に入らなかったときには、分析家の行動は、理解して欠如、患者の才能への羨望からの攻撃、単なる不機嫌や疑う余地のないサディズムを表していると感じられやすい。解釈に対する後者の受け取り方は、性愛化をたやすくもたらし、解釈を性的侵襲として体験させてしまう。 患者が夢や連想を語ろうと、あるいは、日常生活の事実を報告しようと、行動化側面が支配的であるから、内容解釈はそのふるまいの根拠や特性をはっきり示しておくことと結びついていなければ、およそ役に立たない。これは、もちろん、私の-することは-どれでも-あなたを-よろこばせません、といった類いの不機嫌に終わる。けれども、一般には、その行動化をたんねんにあらわに出していき、秘密のマスターベーションを一貫して明らかにしていくことによって、そして、最終的には夢分析を通して進展がもたらされうる。内的人物との幼児性の投影同一化が行動化されるのが、この性格のとても際立った部分なので、これが患者の大人としての生活を汚すものであることを継続的に示し出して行かねばならない。たとえ強力な反撃に出会ったとしても、この詳しい検索は、仕事、“創造”活動、子どもや兄弟との関係、あるいは年老いていく両親への変わらぬ気遣いや世話といったもっとも大きな誇りや満足の領域をも含まねばならない。女性にとっての服装、男性にとっての車、そしてまたすべての人にとっての銀行預金といったこと、重要性も調べられねばならない。というのは、きっとそらが不合理な意義づけをされているのが見出だせるに違いないからである。思考、態度、コミュニケーションや、行動においての成熟があまりに巧妙に偽造されているので、夢だけが大人のパターンから、幼児的な“偽-成熟”を抜き出すことを可能にしてくれる