うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

五山の送り火と、【両者のあいだの掛け橋は、乳児発達および乳児-母親の相互作用に関する研究と、最近の英国精神分析的対象関係論の諸概念にあるように思われます。】


出典・Wikipedia

 今日は、京都では五山の送り火の日です。20時から火が着き始めるので、もう終わりくらいでしょうか?
関西人のお盆は16日までですね。お盆休みがある仕事に縁が少なかったので、あまりピンときませんが、今日は自死した母親とみーちゃんを思い出しました。
それぞれ、戻る場所に無事戻ったのでしょうか?
 明日は、早朝に名古屋に向かうので、早めに寝ようと思っています。

 今日はなんやかんやで、本を開くことが出来ませんでしたが、昨日読みながら打ち込んだものが、携帯に残っていたのでそれをアップ(笑)させて頂きました。
何年も前の本ですが、下記は古さを感じないし、ある面状況があまり変わっていないのかもしれません。
 ノースカロライナを思い出しましたが、今度行けるのなら、タヴィストック・クリニックに行きたいなとも思いました。
昨日、アップした遊びのところをなぞるような感じの話に、今日なっていて、本当に勉強しないといけないなと、痛切に感じました。



第15章 自閉症――対立する諸理論
 科学的観察は、単に個々の事実を純粋に記述することだけではない。その主たる目的は、一つの事象を可能な限り、多くの視点から眺めることである。
                                                         Alexander Luria




 ここでは、発展しつつある研究領域を検証してみたいと思います。その領域では、自閉症に関する精神分析とは異なる器質論のいくつかと、精神分析理論とが重なります。対立する両陣営の考えには、いまだに重要で深刻な相違がありますが、一方、いくつかの点では歩み寄りもあります。確かに、いずれのグループも、非常に異なった以前の立場から前進し、それを修正してきています。両者のあいだの掛け橋は、乳児発達および乳児-母親の相互作用に関する研究と、最近の英国精神分析的対象関係論の諸概念にあるように思われます。 器質論者と精神力動論者は、もとは病因論と治療の問題のいずれに関しても、袂を分かっていました。すなわち、器質論者は、生理化学的で神経学的な原因論にたち、薬物療法と行動療法を行ってきました。一方、精神力動論者は、特にアメリカにおいては、原因は環境にあると考え、治療的な共同体や心理療法を推奨してきました(Bettelheim 1967)。(英国の精神分析的な著者たちは、一貫して環境論をそれほど提唱してきませんでした。)私は、治療の問題と病因論の問題とをこれほど緊密に結びつけなければ、多くの混乱は避けえたのではないかと思います。例えば、神経学的に障害をもった患者たちが、精神分析心理療法によって、情動的かつ認知的に援助を受けられることは、十分あり得ることです(Spensley 1985; Sinason 1986)。精神分析家Betty Joseph (Joseph 1975)は、知能のように明らかに生得的能力ですら、一人心理学(one - person psychology)の用語によってだけではなく、対象関係すなわち二人心理学(two - person psychology)の用語によって定義される必要があることを示唆しています。例えば、私が診ていたある二人の境界水準の精神病患者は、何年もの間、両親や教師から遅滞があると考えられてきましたが、彼らが愚かなふうに考えたり、話したりしてきたのは、自分たちがコミュニケーションを図っている相手が愚かな人間であるとずっと想像してきたからでもありました。Sinason の患者のなかには、二次的なハンディキャップに苦しんでいる人がいました。そのハンディキャップは、自分たちが話している相手は、自分たちが愚かであることを望んでいると想像していたためでした。自閉症児に精神分析的な方法を用いて成果があがったということは、もともとの状況がなんら器質的な要素をもたないことを証明するものではありません。ローマのGiannotti らは、心理療法によって自閉症児の脳波図(electrencephalograms)が改善することを示しています(Tustin 1990から引用)。しかしながら、心理療法が成功したという結果が示すのは、自閉症という心理的状態における対人関係的な要因や精神内界的要因に関する証拠かもしれませんが、その状態は、子どもを自閉症への道へとおいやる、さまざまな要因が相互に作用している因果の鎖における二次的段階、三次的段階あるいはずっと後の段階で結果的に表れたものかもしれません。自閉症は、しばしばいくばくかの神経学的な機能不全から始まるのですが、しかし、そこからもたらされる特定の心理学的欠損は、対象関係を考慮に入れ、また対象関係の発達段階、そして情動的なコミュニケーションに関する子どもの能力の発達段階を考慮に入れた観点で、記述され探索されねばならないでしょう。治療を考える上ですら、そうでしょう。