うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夕方の散歩と、わらび餅と、【このセッションは、とても心動かされるものであった。私の逆転移は強烈な情動を伴っており、バリーのおかれている状況に強く心を動かされていた。】


 夕方の散歩の写真が送られて来たので、アップさせて頂きました。
ご家庭で、夕方の散歩が日課の方は、うたたねでもなるべく職員を配置し、散歩ができるようにさせて頂いています。送迎者も行くことがあるのですが、お年を召されている方の方が健脚ですね!
 おっちゃんは、通勤は歩きか自転車なので、健脚になってしまっています(笑)でも痩せない....。



 今日は、早番で6時前に家を出て、6時30分までいつもの如く(笑)うたたね横のファミマさんでコーヒーを頂きながら本を読んでいました。下記はその箇所のアップです。
 皆さんを送り出してから、会計事務所から決算書が来たので、総会の資料に反映しましたが、完全にはできませんでしたが、夕方皆さんが帰宅(ホームの方々とショートの方々)する前に現場に戻り、男子ばかりでしたので、入浴介助が必要な方たちを入れて、洗濯も干して帰宅しました。
ばたばたしてしまったので、パワーズさんでわらび餅を買って来て、お薄を点てて頂いてから事務仕事を再開しました。(だから痩せんのか?w)
 頭が悪いので、あちこち掛け持ちすると、数字が余計に頭に入って来ません.....。
しかも、明日はうたたねのケース会議で、新たな案件が出て来たので、それも反映していました。

 明日も早番で、日中の作業所までの送迎があります。豊橋までの送迎は楽しみです!

 
 下記は、現場でよく出会ったり、ご家庭での様子をアセスメントさせて頂いたときに、よく見たり聞いたりすることのようにも感じられました。

『このセッションは、とても心動かされるものであった。私の逆転移は強烈な情動を伴っており、バリーのおかれている状況に強く心を動かされていた。』
 は、前後の文脈がなくても真剣に現場で働いている方々には何を言おうとしているのか、理解出来る筈だと思われます。重度の方の支援は、逆転移を上手く利用することにかかっているな、と思う時が多いです。




第1期(9ヵ月)
 略歴
話はしなかったが自らの要求をきわめて明確に知らせることができた。しかしながら彼はどのような種類の欲求不満にも耐えがたく、明らかに他の子どもを無視していた。 バリーの両親は、彼に話すことを教えるために多大な努力をおこない、6歳までに彼を耳の聞こえない子どものように扱うことで、限られたものではあるが一定の成功を収めたようだった。彼はスウェーデン人のオーペア女性からごくわずかな単語を学んだが、全体的に教育不可能だとみなされていた。
 その時点で、彼は短期間、ハムステッド・クリニックにて精神分析治療を受けた。振り返ってみると、この治療によって、実際の自閉症は治癒されたのであるが、その後に多彩な精神病的性格発達が続くことになった。
 バリーは12歳の時、ふたたび治療のために紹介された。この時点で彼は学校に行くことができず、情緒が不安定になると、家庭では事実上、手に負えなくなった。起きている時間のほとんどをテレビの前で過ごし、そこで食事を摂り、ごく稀に両親に話しかけた。彼は明らかに、父親が毅然とした態度をとればそれに反応し、母親との間では親密な、依存的な関係を持っており、そこでは、非常に支配的であるものの恋人のようであった。母親はしばしば自分が父親の仕事のため、しぶしぶ平穏を維持するために、彼のゆすりや脅しの上で数分以上我慢することがまったくできないため、何の治療もおこなうことができなかった。〜

セッション2
このセッションは、とても心動かされるものであった。私の逆転移は強烈な情動を伴っており、バリーのおかれている状況に強く心を動かされていた。



コメント
 〜初めて会った時、待合室で私の腹部を見つめた時から、バリーの目は重要であった。それは深く見つめてくる目であった。逆転移において私はその凝視によって非常に侵入されていると感じた。最初のセッションでは、目は、貫通し口唇サディズムを表現する主要器官であるように見えた。それは、私の体と心の中に入り込み略奪するのであった。後になって、バリーの目が如何にひどく独立して機能しているかが理解されるようになってきた。拷問の道具になれば鏡にもなり、前に向かったり後ろに向かったり、上に向いたり下に向いたりした。対象の内部は、目が彼の一部として生き、探索し、移動して回る空間になっているようであった。彼は対象に対して、このような貫通に何の制限もせず、あらゆることを見て、どこにでも行くことができることを許容するようになっているようであった。分析の後の方で、治療室の壁がまるで流血したように赤いチョークで塗られた時、こうした侵入する目によって対象への暴行がなされたことは明白であった。さらに後には彼はロンドンの地下鉄を執拗に探索した。しかしそれは非情な所有欲からというよりも知識への渇望に動かされてのことであった。バリーがテレビを見ることもまた、私の生活を監視しコントロールするやり方として理解されるようになってきた。もっともこれは、分析が始まる前には、両親を彼の世話から解放してやり、いくらかの休息と時間を与えてあげる機能を持っていたようであった。〜