うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

街角探検?と、【しかしそれにはひどい代償が支払われた。】







 川口や東京の街角で、沢山写真を撮りました。( ̄0 ̄)/
 

草間彌生さんの展示も、一番新しい作品の部屋は、撮影OK でしたので、皆さん撮りまくっていました。      ( ̄▽ ̄;)
 
一部だけアップさせて頂きます。

 今日も4時過ぎに覚醒し、二度寝出来そうになかったので、本を読んだり、ギターを弾いたりしてました。単にジジイになっただけですね。f(^_^;


 
まめに弾くとギターもよく響いてくれ、より良い音になるので、ついつい触りたくなります。

 
 人間も見られないと、存在がなくなると言われるので、支援の基本は、見る、見させて頂いてなんぼだと思います。
 しかし、皆さんが一番できていないことですか…|(-_-)|


 携帯で3日アップしたら、PCでアップできなくなってしまっているので(笑)暫くは、読みづらいですが携帯でのアップになりそうです....。

遊んでばかりではないのですが(笑)(今日も朝一に市役所に見せる書類を整えて、市役所にも行っています)、昔から遊び人のように思われて、風邪をひいて医者に行っても、遊び過ぎで病気になったので、遊びすぎには注意するようにって(笑)何度も言われました.....。京都時代なんか、正月しか実質的には休めませんでしたが.....。
 時間は作れば沢山あるのもです。忙しい振りをしても自分の実力が上がるわけでもないし、一時間でも1分でも大事に使いたいし、使うようにしています。

  下記も、母親と支援者を置き換えて(母親がわりにはなれませんが、支援方法を考えるため)色々思い巡らせて見ました。
 
 やはり、けじめをつけることが出来ない支援者は、なぜきちんとした支援が出来ないのか?その理由が書かれているように感じました。

 


もう少ししたら、夜勤に行きます。( ̄0 ̄)/
 

 明日は、明けで人と会うので、ボケたことを言わないように、気をつけます。ヽ(´ー`)ノ








 ジョンの関係の性質に関する考察
占有(occupation)と没頭(pre-occupation )   

 〜この「ママ」は自分の境界が侵されることに屈服してしまうので、彼は、彼女の中へ入る穴を引き裂き、クッションカバーと同じように中の詰め物を引き抜くか、植物にしたように彼女の皮膚をひき剥がし、面接室の中に走って出入りする子どもたちに、抜け殻か骨組みしか残さないようにするのである。この母性対象の構造的な枠組みを成す、空っぽで空間を支える柱は、鉛筆が奪われた後の輪ゴムのようにグニャグニャなものであり、対象は望ましい形に押し込めることができるものであった。しかしそれにはひどい代償が支払われた。
侵入から自身を保護しない、この形のない母親は、赤ん坊を抱くことも守ることもできないからである。この母性対象は安定した境界によって守られた内的空間を持たない。そのためライバルから隠れる場所も提供しない。また彼女には、ジョンをしっかりとつかみ、包むための皮膜がなく、彼の心的経験の断片をつかみ、抱えることもできない。そして彼女は、つながりを作り、空間が成長し発達するための、経験の持続性や記憶を支える構造の基盤となる基礎を提供しないのである。
 どんな経験がそうした母親の概念に導いたのだろうか?ジョンの最初のセッション、私の膝の上に無理やり乗ってくることについて思い返した時、私は、この子は母親が何か他のものに没頭しているように感じる経験を実際にしたのではないかと思った。ジョンの両親は、彼に献身的であり、彼に十分に注意を向け手厚い世話をしていた。しかし母親が病気であったり、抑うつ状態にあったりして、自分自身の考えや問題に気を取られていたとすれば、赤ん坊に対して、暖かい注意を向けているという印象を伝えることができたのだろうか?こうした母親は生き生きとした反応をすることができないし、穴をあけて中に入ってこようとすることに抵抗をまったく示さないかもしれない。
彼女が脆弱であることからジョンは自分の強力な攻撃から彼女を守ろうとする一方で、官能的に愛情に満ちた赤ん坊であったので、彼女が彼を寄せ付けないから、自分に与えてくれない内容物を得るために彼女の中に無理やり入っていこうとするようになったのではないだろうか?
 そして両親が旅行に出かけ、実際に彼をあとに残した時、彼は両親の心からすっかり追い出されない忘れられ、落とされたように感じたのだろうか?彼が引きこもり打ち捨てられたように粘土遊びをしている姿は、両親が休暇から戻ってきた後少ししばしば彼が引きこもった真っ暗な部屋の経験の反復なのだろうと私は感じた。これらは単なる疑問や推測にすぎない。私が経験に基づいて確信しているのは、ジョンが私の心の状態に非常に敏感であること、そして彼がどのような注意の喪失、どのような病気、身体的な倦怠感や沈黙に対してもまるで私が彼を拒絶したかのように、反応したということである。この時彼は引きこもるか、非常に多動となり、物にぶつかっていった。私はたとえ一瞬でも私の心から彼を落としてはいけないことを経験から学んだが、彼が無思考状態へと逃避していかないように彼をつかまえておくために警戒しておく必要があった。
このような点で、彼のしていることを実況放送しているだけのようなものであっても、話し続けることは極めて重要であったというつまり私の生きた関心、反応は、彼を抱えることと心的に等価のようであり、私の声は彼をまとめあげるバネのようであった。