うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

田原サンド・アート フェスティバルと、【トレーシーがベルの入った鳥かごを振った時を母親は、トレーシーを見て、頭をベルの動きてあ音に合わせて動かしました。このため、トレーシーは、少し動きを止めて「考え」ました。トレーシーがかごを振ると、母親はすぐにそれに合、


 昨日、親分が赤羽根でやっていた、田原サント・アート フェスティバルにボランティアで参加して来ました。
暑い中、沢山の参加者・関係者の方がおられたとのことです。

 基本的に、撮影はNGだったようで、かなり引いた絵しかありませんが、親分の話で大まかな感じは伝わって来ました。
親分は、田原になんとかしてアートの文化を根付かせたいという思いがあるようですので、お互い協力し合って文化が根付けばいいですね!
 自分はやっぱり大阪に関心が行ってしまいます.......。





 今日も朝と、昼食時に本を読みましたが、アップは先日読んだ箇所です。
こちらも現場で真剣に向き合っていたら、はっと思うことができる記述です。

 下記は、現場でも大事にしたいことですね!
繰り返しになりますが、人間は見られていないと存在がなくなるので、本当に大事なことだと思われます。
 入所施設で、何の病気もないのに、急死されるかたが時々みられるのは、それも原因の一つなのでしょうか?と思う事があります。

『赤ん坊は、母親が自分がしていることに注意を払って応答し、タイムリーにリズムを合わせて声をかけてくれることを好みます。』



 下記は、現場での支援方法に大きなヒントを与えてくれています。

『トレーシーがベルの入った鳥かごを振った時を母親は、トレーシーを見て、頭をベルの動きてあ音に合わせて動かしました。このため、トレーシーは、少し動きを止めて「考え」ました。トレーシーがかごを振ると、母親はすぐにそれに合わせて、「バン、バン、バン」と言いつつ、頭を動かしました。トレーシーは顔を近づけて母親を見、その行為は遊びになり、ほほ笑みと笑いを求めることにつながっていきました。』





Sue Reidは、自閉症児があることを一つのパースペクティブだけでなく、それ以外からも見ることができるようになる時には、飛躍的な発達かわあるとコメントしています(私信)。二重のパースペクティブ(Bion の「両眼視」のように)は、乳児が他の生きている人間と関係をもつことから生まれるように思われますが、「複線化」というこの特別の発達は,Trevarthen のある仕事(Trevarthen とHubley 1978)に比較できるかもしれません。彼は、生後1カ月の間の「一次的間主観性(母親と赤ん坊との間の相互の見つめ合いややりとり)から、生後半年から1年の間が、彼が「二次的間主観性」と呼ぶものへの発達について調べています。後者は、無生物対象に一緒に関わる赤ん坊の能力や、自分の遊びや行動を母親が方向づける形で調製することを受け入れる能力のことです。この発達より前には、赤ん坊は母親からの積極的な方向づけや干渉なしにはおもちゃを眺め回し、振り回したり、打ち付けたりしたがります。その一方で、赤ん坊は、母親が自分がしていることに注意を払って応答し、タイムリーにリズムを合わせて声をかけてくれることを好みます(おそらく必要としています)。Trevarthen は、7カ月のトレーシーの例を挙げています。



トレーシーがベルの入った鳥かごを振った時を母親は、トレーシーを見て、頭をベルの動きてあ音に合わせて動かしました。このため、トレーシーは、少し動きを止めて「考え」ました。トレーシーがかごを振ると、母親はすぐにそれに合わせて、「バン、バン、バン」と言いつつ、頭を動かしました。トレーシーは顔を近づけて母親を見、その行為は遊びになり、ほほ笑みと笑いを求めることにつながっていきました。(Trevarthen とHubley 1978:195)



〜トレーシーの母親はその行為に、自然に参加することになりました。トレーシーは、物を移し替えるたびに繰り返し母親の顔を見上げ、受け取ったことを確かめるかのように間を置くのでした。また彼女は、遊びを中断した時にも母親を見上げ、体験を共有していることを喜んでいることを示そうとしました。これは以前には彼女は決してしたことのなかったことでした。(Trevarthen とHubley 1978:200)〜


Trevarthen は、トレーシーの遊びで、母親が与えると同時に受け取る者としてゲームに参加できようになったのは。彼女が遊びをとめて母親の視線を求めて見上げるようになった段階のあとだったと指摘しています。そうなると、トレーシーは、母親が自分の遊びについて教えてくれ、方向づけるのを許容することができました。この入念な発達的見地からの思索のおかげで、私たちはシンディの心が三項関係と思われるものを包容することができるようになるまで、忍耐強く待つことのできました。その三項関係とは、自分のイメージ、玩具のイメージと治療者のイメージ、そしてそれらの間のつながりです。その後、彼女は、象徴的な転移解釈を以前よりも聞き入れ、用いることができるようになったように思われ、より通常、レベルでの精神分析の仕事も始められるようになりました。(ここでは、基底欠損の水準で機能している患者には、「あまり際立って輪郭をもつ」対象で提供しないことの重要性に関するBalint (1968)の見解が、大いに関心あるところです。)〜