うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

救命講習と、【親は、自分たちの子どもに何か異常がないか常に不安なものである。ときには、専門家の注意深すぎるとか、小さなことを気にしすぎだというような言葉で、簡単に納得してしまうことがある。】


 今日は、ケース会議の前に、1時間半『心肺蘇生法、AEDの取扱い方法』の訓練がありました!




 1年に1回はしないと不安だと、職員の方から訴えがあったので今年も行いました。
みなさん落ち着いておれれましたが、本当の現場になると誰でも慌てますね。


 消防の森下様に、沢山教えて頂いた上、最後に流れを一通りして下さったので、みなさん暫くは大丈夫そうです。

 田原市の全てのコンビニに、AEDを支給しているので(田原市が)何かあったら借りに行けば良いとのことでした。うたたねの横にファミマがあるので助かりますね!


 今日は夜勤ですが配置ができているので20時入りになっていました。20時入りだと遅番さんが全てしてくれているので申し訳ありません。でも御陰様で、事業報告書が少しできました。後は収支決算が出たら一気に片付けます。

 本も少し読ませて頂きましたし、ギターも(ジミヘンの風の中のマリーをカンコピしていますw)弾きました!



 

 本は本当に現場に密着しているかのような内容です。
ケース会議や担当者会議が今日はありましたが、本の内容のようなことも話にあがりました。
 お風呂に入ってから夜勤に行って来ます!


 下記は、一番してはいけない、決めつけでしょうか?サリヴァンの言っているように、その方の精神病的な障害がなければ、どのような人格だったのか?をまず考えるということが、大切なのかもしれません。


『トラウマティックな過去がトラウマ化された現在に与える影響がが明らかなように、モリーをありのままに見ることが難しいのは明らかだった。家族の中で克服されていないトラウマが、世代間伝達していることに対して、なすべきことは数多くあった。パターン自体が繰り返され、子どもは両親の中に内在化された過去の自分の像と重なって見られる。そのため、子どもが一人ひとり、人格や欲求をもった個人としては見なされなくなってしまうのである。』




►トラウマとトラウマ後のストレス(PTS)
この分野で働く者は皆、診断のみではなく、親とのあらゆる局面での面接も含めて、自分たちがもたらす影響についてもっと考えるべきである。私は、これまでに間違った気休めを言ったり、過度な関心を示すことで、不安を感じている親にかなりの影響を与えた例を多く聞いている。親は自分たちとは異なる専門家の視点によって、簡単に他のことが見えなくなってしまうものである。子どもの問題に気づきたくない親は、赤ちゃんはよく眠るものだし、受身でよいものだと考え、「すぐに成長しますよ」といった気休めの言葉に固執しようとするだろう。また逆に、社会的な反応がないとか、喃語を発しないとか、最初の言葉が消失してしまった、あるいは遊びとはいえないような奇妙な玩具の扱い方をする、などといった子どもに関する異常に気づき、純粋にそのことについて考えようとするような親が、これを真剣に受け取らない専門家に出会ったとしたら、自分たちの正確な観察とは相反する専門家の判断に頼らざるをえないだろう。親は、自分たちの子どもに何か異常がないか常に不安なものである。ときには、専門家の注意深すぎるとか、小さなことを気にしすぎだというような言葉で、簡単に納得してしまうことがある。〜

トラウマが面接室で再体験されるときには、そこにはもちろん、その意味を理解し、親がそこから歩きだし、より現実的になり、子どもと親密ではっきりとした視野で関係を作り、あるいは作り直せるように援助できる可能性が出てくる。これを考えに入れることで、専門家はすぐに判断を下すのではなく、今この親が渦中にいるひどく苦痛な悲劇的状況に、より寄り添っていくことができるだろう。トラウマに働きかけるということは、我々自身の希望を高めることにもなるだろう。希望を持つ続けることそのものが、支持的にもなりうるのだ。このことは、私たち自身がバランス感覚を維持するためにも、非常に大切である。 
 親は、ときには専門家に対してその悩みのはけ口を求めることがあるかもしれない。精神力動的に訓練を受けた者は、今ここで何が起こっているのかを理解し、さらにそれを深めるために、ここで引き起こされた“転移”感情を扱うことができるだろう。この作業は、親が抱いているトラウマティックな不安や恐れに我々がさらされることを意味する。また、恐怖を訴えても、誰もそれを抱えてくれず、理解されずに行き場を失うことになるかもしれない、という親に恐怖に対する思慮深さの必要性をも意味する。

〜トラウマティックな過去がトラウマ化された現在に与える影響が明らかなように、モリーをありのままに見ることが難しいのは明らかだった。家族の中で克服されていないトラウマが、世代間伝達していることに対して、なすべきことは数多くあった。パターン自体が繰り返され、子どもは両親の中に内在化された過去の自分の像と重なって見られる。そのため、子どもが一人ひとり、人格や欲求をもった個人としては見なされなくなってしまうのである。〜

このような感情の浮き沈みは、この障害の性質に関する両親の恐れとつながっている。Cさんのように、親は、子どもの障害はすでに固まってしまっていて変化しないと信じがちになる(非常に多くのケースで変容不能を確証するようなデーターがないにもかかわらず)。希望は打ち砕かれやすく、発達の後退は即、退行や悪化と感じられる。 学習や人間関係が少しずつ進歩してくると、親は自塗んの子どもと他の子どもとの間にはまだかなりのギャップがあるとうことを思い知らされる。まだまだ行く手は長い。やはりこの子どもは他の子どもと違う。進歩の証拠が、違いを鮮明にするのだ。
 “意見書(statementing)”や教師との面接、年ごとの振り返りやフォローアップの影響について考えることも大切である。これらはすべて、いかにうまく事が運ばれたにしても、トラウマティックなものである。心理療法の中での一時的な後退もまた、進歩が実は幻だったのだという確証として経験されることが頻繁にある。