うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【Kleinは次のように述べています。「子どもがこの段階で現実の母親と幸福な関係をもつようになればなるほど、抑うつポジションをより克服できることは疑う余地がない。」】


 今日も、日中は賑やかでした!
昼食は、車二台(セレナ×2)で行きました。
 夕方、帰ろうとしていたら、食堂のカウンターからの視線を感じ(笑)顔を上げたら、明日の昼食はアプレシオがいい!とたかちゃんが言って来ました。
明日も日中が賑やかです!行けたらいいですね!

 昼食後、ドライブ組とうたたね組に分かれました。おっちゃんはドライブ組になり、昨日に引き続き蔵王山に行きました。


 展望台にあるカフェ?の壁を見たら、朝ドラのオープニングの映像のような額がありました。
中々頑張っています!



 展望台を堪能してから、再びドライブへ!
すろーじゃむ周辺を回って戻りました。

 日中に入ってくれた職員さん達は、本当に良い仕事をしてくれました!
お疲れ様でした!


 今日も早めに出て、ファミマでコーヒーを頂きながら本を読みました。
今回もクラインの復習的ですが、個人的には凄く勉強になりました。



〜Meltzer やSpillius を含む多くの精神分析の著者たちは次のことを指摘してきています。すなわち、正常な抑うつポジションに関するクライン派の見解は、年を経るごとにかなり変化してきており、Klein も上記の論文で正常な抑うつと病的なそれとの違いを強調してはいますが、実際のところ、その相違はそれ以来拡大され、今日ではより一段と強調されています(Spillius 1988a:4;Meltzer 1978:10)。私は、境界例や特に病的な抑うつ状態の子どもたちとの仕事においては、その相違に大いに注目するだけでなく、躁的な防衛と躁ポジションとを同様に明確に区別することが求められるのではないかと提起したいと思います。 Klein は、ある時には躁ポジションの正常性に言及し、別のおりにはその防衛的な性質とその病的ですらある性質を強調しています。それはたとえば、彼女が「人食い人種的な宴」という言葉を使う場合などです。抑うつポジションは、愛する対象の喪失、よって刺激されますが、躁ポジションは、彼女の示唆するところによれば、乳房を喪失したのちに子どもが再びそれを見つける際にはいつでも刺激されます。この場合、自我と自我理想とは合致し(Ferud)、人食い人種的な空想が動き始めるのです。Kleinは次のように述べています。「子どもがこの段階で現実の母親と幸福な関係をもつようになればなるほど、抑うつポジションをより克服できることは疑う余地がない。」Kleinは、依然として、抑うつポジションを、あたかも病的なもので被害妄想的な空想に彩られているかのごとく、何か克服すべきものとして考えているというふしがあります。今日では、それは克服すべき何かではなく、その中で人が生きる状態であり、そこに何とかとどまることができれば、生涯のほとんどを通して、生きぬかれる状態だと考えられています。健全な抑うつポジションというもっと最近の概念には、その定義からして、躁ポジションのラインに沿うある発達が含まれていることを私は示唆したいと思います。「抑うつ」という言葉は、錯覚や誇大性から解放され目が覚めていることを強調しているのですが、深い絶望に沈んでいる患者や少しの希望に向かって動き始め、心が少しだけ軽くなるのを感じ始めている患者にとっては、危険な含みを伝えることもあるかもしれません。何かを得たという体験を先にしていなければ、喪失というものはありえませんし、人間関係や人生は、得ては失い、再会しては別れ、再会しては別れという、生涯にわたるこのリズムをめぐっているのです。Tustinの『神経症の大人における自閉的な障壁Autistic Barriers in Neurotic Adults』という著作には、興味深い章があります。そこに述べられている、かつて自閉症だったある成人女性は、治療を再び始めたのですが、最近、自分の治療者と非常に長い間離れていなければなりませんでした。その休みが終わって、再び治療者と会えるようになった時、彼女は夢を一つ報告し、次のように言いました。「これは私が発見したことのうち、一番奇妙なことなの。私は安全性のリズムを発見したの。」この人が、「ポジション」ではありえないことを考えると、とりわけ適切なことのように思われます。そして、Klein自身、実際にこのことを強調しています(Tustin 1986:272)。トリノ大学のRavetto教授は、ある時、それには「躁ー抑うつ」ポジションという名がふさわしかったかもしれないと示唆したし、Bion(1963)は妄想分裂ポジションと抑うつポジションの間には絶えず行きつ戻りつがあることを強調しています(Bion 1963)。