うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アレクサンダー・テクニークと、【実在的恐れ】



 今日は名古屋に行ったついでに、アレクサンダー・テクニークを受けて来ました。
日常生活での姿勢や動きは、約2年間で一応やって頂いたので、今日はギターを弾く姿勢を見て頂きました。
 いつもはエレキですが、音の都合で、アコースティックギターを持って行きました。
頭の位置や背骨の位置など、ボディマッピングを確認しながら、指導を受けました。

 歩きながらギターを弾いたり、


 座った状態で弾いたりして、無駄な力が入っていないか?きちんとボディマッピングを意識しているか?約2年間の集大成のような気もしました。
 まだまだダメですが、首や肩のこりは、大分改善されて来ました。
支援も時間をかけて行った支援の方が、根本的な改善が期待できます。
 スピードが要求される時代ですが、きちんと目標を持ってやれば、何でもある程度までは出来ると思われるので、個人的にも頑張りたいと思っています。




 アップは昨日読んでいた箇所です。


『こうした心理的変化の生じる状態にあっては、精神病が起こりうるが、破壊が心の生成以前、心がまだ変化していない状態でおこるなら、幼児自閉症が生じ、それがカプセル化した状態であれ、混乱錯綜した状態であれ、原始的自己の要素は生き残る。しかし基本的に原始的自己は衰弱していく。思考と感覚の破滅的スプリットはすべて、感覚が意識化することを妨害しようとして生じ、乳房も子どもも生命の感じられない存在になる。』

 明日は、集団指導で名古屋です。


第4章 精神の破滅とブラックホール
実在的恐れ
〜確信には事実や理論による支持が不可欠だが、研究対象が言語以前の状態にあるとき、これは困難である。言語以前の状態の概念化は複雑であり、その本質を伝え理解させることは難しい。
サルトルの『存在と無』は1943年に出版された。それは人間個人の精神的経験と存在の感覚を論じた最初の哲学的研究であった。1946年にはスピッツが、施設の生活が子どもにもたらす危機について論じ、その時期を「依託性うつ病」と命名した。これはビブリング(1953)が、「原初的な」うつ病と呼んだものにあたる。ウィニコット(1960)も、幼児期の精神病的うつ病について述べ、それは「存在し続けることに失敗した」状態であると述べた。レインは1960年に、内的に破壊されること、巻き込まれる恐怖、正気を失うことなどについて記載し、こうしたものは人間の精神に対して最も厳しい存在の脅威になると考えた。マーラー(1961)は、幼児期のうつは現実に抗して精神病を使って休息する経験上の「案内人」であるとした。ビオン(1962b,1963)はそれを、心理学的な破滅として解説している。
 ビオンは、この幼児期の破滅は人格の深い層にスプリットを引き起こし、しかもそれは抑圧に対する防衛とは全く異質のものであるという。このスプリットは経験を遮断する。それはより正確には、スライスする(Riesenberg 1990)と言い表わされるが、さらに簡単にいうと、矛盾した概念を同時に保持する能力と理解してもいい。
 情動が侵犯されているのに、それが破壊であると気づかないと、やがて感情と思考の関連が消え、ビオン(1962)が「精神的満足と身体的満足のスプリットが進行する」とよぶ事態が起こる。そこでは、情動の存在は否定され、存在を意味あるものにする精神のリンクが破壊的な攻撃を受ける。同じくバリント(1968)は、これを「基底欠損」とよび、地震計の隠喩を使い、個人がこの世界に生きる能力が粉々に砕けると表現している。
 ここに説明され示されている共通性は明らかに、自己の意識を発展させようとしても、そこに根本的な早期の妨害が生じているという事実である。(主観的なものであれ、客観的なものであれ)そこに攻撃への恐れがあると、自分を支え保とうとする幼児の本能は深く抑制され、生命への危機感から破壊的な混乱が生じる。破壊は生物学的にもそして心理学的にも起こっている。それは精神病が発展するかもしれないという予兆である。そこでは発展途上の精神は危機にあり、自己は命運尽きた状態にある。
 こうした心理的変化の生じる状態にあっては、精神病が起こりうるが、破壊が心の生成以前、心がまだ変化していない状態でおこるなら、幼児自閉症が生じ、それがカプセル化した状態であれ、混乱錯綜した状態であれ、原始的自己の要素は生き残る。しかし基本的に原始的自己は衰弱していく。思考と感覚の破滅的スプリットはすべて、感覚が意識化することを妨害しようとして生じ、乳房も子どもも生命の感じられない存在になる。これは自己から、同一視や弁別機能が失われることである。原初の生命を持った対象や「根本的同一性の背景となる存在」(Grotstein 1980)から、「正しい方向への導きの灯台」(Mahler 1961)が消失し、原初的な投影―摂取のプロセスから、同一性と意味を形成する情緒的関係が消失すると、破壊的なブラックホール抑うつを経験する状態になる。生命は混沌とした混乱として経験され、その結果、存在が連続しているという感覚や意味ある関連を作る、生来の素因は破壊されることになってしまう。