うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スシロー!と、【自分の過ちに耐えることは分析家にとってもこの上もなく困難なことであり、このことはまず彼の心のうちに大変な不安と罪悪感を引き起こすであろう。】(治療の行き詰まりと解釈より)



 今日は、浜松の航空自衛隊広報官に行く予定が、皆さんにお昼何が食べたい?って聞いたら、マック!といつもは返ってくるので待っていたら、なんと!お寿司!
ってことで、浜松のスシローに急遽決まってしまいました(笑)近くまで来ていたのですが、時間的に回転ずしに行くと時間がかかりそうだったので、お寿司を食べて帰ることになりました(笑)次回は自衛隊に行くぞ!
 次回は何を食べたいか聞きません(笑)
皆さん美味しそうに食べられていたので良かったです。職員も大分馴れて来ておっちゃんも楽になりました。
まりちゃんと、としちゃんと一緒に堪能?しました。

 昨夜、事務仕事を大分片づけたので(まだまだありますが......)早めに出勤し、今日は親分配給の(笑)マックのコーヒーチケットでマックでコーヒを飲みながら下記を打ち込んでいました。
 本は終わりましたが、勉強になる箇所がまだまだあるので、もう少しアップさせて頂こうと思っています。
下記の3つは本当にそう思います。失敗は誰でも犯してしまうので、その後の処理の仕方が大切だというのは頭では理解できても、人は弱いですからね......。
 でも勇気を持って、皆さんの為に、それにきちんと対処して行かなければいけませんね!

『自分の過ちに耐えることは分析家にとってもこの上もなく困難なことであり、このことはまず彼の心のうちに大変な不安と罪悪感を引き起こすであろう。』


コンテインする関係が破綻したとき、患者は自分の感情を受け入れてくれるコンテイナーが破壊されてしまったと感じ、それゆえ、自分自身で強力なコンテイナーを作り上げなければと思うことを認識しておくことが大切である。その圧力が制御不能にならないように、壁が城のようなものがかれにはひつようなのである。しかしそうように、見かけ上自分で自分をコンテインすることはもちろん偽りである。なぜならば、そうすることには大変なエネルギーと危険とが伴い、また自らコンテインしているという状態に何らかの破綻が生じはしないかという不安が常に付きまとってうまくいくはずがないからである。』



『どのような分析家であってもA医師のように行動化の形で大きな失敗をおかした場合、それを修復しておくことが大切である。そうするためにはあまり憤慨することなく、自分自身と患者との間に生じた事態のより深い原因に直面できなくてはならない。』




第10章 投影性同一視をコンテインするうえでのさらなる困難

●自分の過ちに耐えることは分析家にとってもこの上もなく困難なことであり、このことはまず彼の心のうちに大変な不安と罪悪感を引き起こすであろう。
このセミナーのような和気あいあいとした議論を場においてさえ、何が起こっているのかを認識し、それを受け入れる気になるにはいくばくかの時間がかかることがある。チャールズの行為は強い欲求の表現、つまりA医師によって自分の欲求を満たしてもらいたいと思っていたというよりも、彼に最大限の不安やフラストレーションを投影し、自分がどのように感じているかを彼に体験させようとする試みだったと私には思える。しかし同時に、彼は分析家が自分の要求を満足させることに無力感を感じるようにとも試みたのである。分析を受けに出かける際に無理な節約をすることが、結果としていますので最後にA医師が耐え難くなり、打ちのめされたように感じてしまうといった大変な転移と逆転移とのもつれを生ぜしめたのである。
 上述したような状況では、こちらの気になった染まない患者の行為を受け入れてやることが分析家にとって必要なのだと思える。最初、患者は全身の力と決意とでもって自分の行為を維持し、分析家がその行為や患者自身を変えることが可能だとは感じられないようにするだろう。しかし、もしも分析家が彼の行為を受け入れることができれば、患者の行動化された行為の持つエネルギーは徐々に弱まるものなのである。〜


コンテインする関係が破綻したとき、患者は自分の感情を受け入れてくれるコンテイナーが破壊されてしまったと感じ、それゆえ、自分自身で強力なコンテイナーを作り上げなければと思うことを認識しておくことが大切である。その圧力が制御不能にならないように、壁が城のようなものがかれにはひつようなのである。しかしそうように、見かけ上自分で自分をコンテインすることはもちろん偽りである。なぜならば、そうすることには大変なエネルギーと危険とが伴い、また自らコンテインしているという状態に何らかの破綻が生じはしないかという不安が常に付きまとってうまくいくはずがないからである。チャールズの場合には、分析の初めに見せたあの不穏な行動のように、大声でわめき始め、圧迫感をA医師のほうに追いやろうとする以前の状態に逆戻りする危険があった。患者と分析家との関係というものは、ときどき悪化するものだという向きもあるだろう。しかしこの患者は、このとき自分をコンテインする分析家の能力をきわめて厳密に試す必要があったのだと私は考えた。
 どのような分析家であってもA医師のように行動化の形で大きな失敗をおかした場合、それを修復しておくことが大切である。そうするためにはあまり憤慨することなく、自分自身と患者との間に生じた事態のより深い原因に直面できなくてはならない。さもなければ彼は二人の間に何が起こっているのかを患者に十分に説明することはできない。もしもこれが可能ならば、分析家と患者との間の混乱した相互作用を示している部分に関連した激しい反応は弱まるだろう。このとき、分析家のコンテイン機能が修復されたことを感じ取る能力が患者には備わっているのである。もしもこうした修復がなされなければ、コンテイナーとしての分析家は破壊されてしまったという感じが残り、それを埋め合わせるためにできることは何もないのである。もちろん、このようにして絶望的で救いようがないという感じが双方のなかで永続することになるであろう。たとえ状況が改善しても、患者はしばしば分析家をテストしようとするものである。こうしたことは、この行動がいかに全体の状況からみてふさわしいかを患者に示すという形で理解され解釈される必要がある。