うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

イブのうたたねご飯と、年末チャリティーの撤収と、『再学習と脱学習』


 昨夜のうたたねご飯は、豪華だと!職員が写メを送ってくれました。
12月は誕生会にクリスマスと、忘年会........。体重が気になります.....。


 今日は夜勤に変更になったので、朝神戸館さんにお邪魔して、チャリティーの撤収を長澤さんと一緒にやってきました。
向かって左側の、アマゾンの箱に入ったものは、誰が寄付して下さったのか?結局分からず....。こちらだけはお金をお支払いさせていただき頂いてきました。他のものは、善意で持ってきてくださったものです。うたたねの前に並べていますので、ご入用の方があれば、ご自由にお持ち帰りください。





 自宅ではこれといってクリスマスらしいこともなく、唯一玄関に千両を入れました。お正月用ですが(笑)


 事務仕事もあり、PCに向かった一日でしたが、もう直ぐ夜勤です。

 間違った学習をしてしまったと思われる利用者さんには脱学習と再学習のセットで支援させていただかないといけないときがありますが、それも、少しずつですね!組織も支援も急に出来たものは総じて脆弱になりがちです。
 神田橋先生の本の続きです。


再学習と脱学習

 資質と学習との共同作業で生物は状況との折り合いをつけて生きているが、状況の変化で折り合いがつけがたくなると、学習の修正が必要となる。状況の変化が甚だしい場合は新しい学習が必要となる。
 その場合、非言語世界での学習は、その修正も、出会いと自然治癒力のよって主導される。人間以外の生物ではそうである。いのちの本質にまかせる、あるいは補助するだけでよい。脱学習もなめらかである。原発事故後のイノシシの脱学習はそれである。
 人間では、文字というデジタル文化が関与しているので面倒になる。デジタル文化は他の文化と直接には「出会わない・腐食されない」ことを目指して創出されたものである。再学習も脱学習も直接には生じない。万巻の書を読破し暗唱してもそれだけに留まる。
 文字文化がもたらす不動の雰囲気といのちとが出会い、いのちが文字文化の雰囲気を「運用を介して」腐食し劣化させえたとき、文字文化は力を失う。脱学習である。
 ときには、文字文化が運んでくる鋭い雰囲気がいのちと出会い、いのちの内部に未利用資源として保持されていた資質を開花させることがある。逆に、現在活動しているいのちの部分を眠らせてしまうこともある。
 そうした経過が文字文化を介して表出されるが、すべては影である。言語を用いる対話精神療法では言語のほとんどが文字言語由来であるから、いのちと出会うのは行き交う言語の「運用」が運ぶ「雰囲気」なのだと、折りにふれて思い返すことが上達への道である。
 例えば、文字言語同士が対峙し「論破」なる現象が起こっても、「勝った・負けた」の雰囲気が双方に影響を与えるだけであり、やりとりされたコトバの内容は両方ともそのままに残りその作用と成り行きは各人の内側での運用にゆだねられる。
 精神分析治療における「解釈」技法の主要テーマがここにある。
 いのちは前進するにあたって、すでに獲得しているすべての能力を活用しようとの志向を持っているから、脱学習とか新学習とか言っても、本質はリフォームであると知っておくことは対話のセンスを向上させる。さらに、関与する神経系が脱落しないかぎり、いったん学習したことは失われないと知っておくことも、有用な知恵である。