うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

全国障害者文化祭ステージ打ち合せと、《与太郎とは誰か》(『落語の国の精神分析』藤山直樹著より)


 一昨日、理事会から夜勤に入り、昨日の明けに名古屋まで行き、全国障害者文化祭ステージ打合せに行って来ました。
 
 ちょっとばてました(笑)


 会場は、人形劇用の劇場なので、ライブハウスくらいの感じでしょうか?60人くらいのキャパでした。
 丁寧な打合せで、PAの方も本職なので、こちらのいう事を直ぐに把握してくれ、スムーズに話が進みました。
 PAの方が「遊ばせてもらいますね!」と最後に言っていたので、楽しみですね!

 遅くなったので、栄のホテルで一泊してきました。



 理事会の方も、濃密な時間でした。






 電車の中や、待ち時間で『落語の国の精神分析』を全部読ませて頂きました。初学者の自分には本当に分かり易く、職員にも良い教材ではないか?とも思いました。(ウィニッコットが底に流れている感じがしましたので)
 一番心に残った箇所を最初にアップさせて頂きました。
ただ、読むなら最後まで、最後まで読まないなら一切読んでほしくないです。藤山先生を、誤解してほしくないと思いますので!

『職業柄経験するのは、知的な障害や精神病を持つ人たちが私たちにもたらす異物感、了解不能性、ある種の不安や困難の感覚は想像以上のものだということである。その強度を否認してごまかしていてはいい臨床はできない。嘘になってしまうからである。もちろんそれに圧倒されてもだめである。私たちの仕事はその間で生き続けることである。』

 腫れ物に触るような支援しかできていない施設がありますが、上記のことがなされていないからでしょうか?
 心の中にどうやって踏み込めるか?踏み込んだ後、どうしていけるか?を考えながらでないと、何も変わりません。それは、自分自身の嫌な部分をも見てしまい、辛い事でもありますが......。

与太郎とは誰か》
 遠い昔、私の育った町に「きいやん」という女の子がいた。〜彼女は異形の少女だった。正確に言えば、少女という言葉のなかには収まりきれない何かだった。私たちガキどもがなんだかんだと遊びながら学校から帰っていたり、自転車でつるんでふらふらしてたりしていると、彼女は突然現れた。その出現はいつも突然であった。いきなり道を青大将が横切るように、あるいは山の方からやんまが不意に飛来するように、突然だった。きいやんは顔の肌が妙にてかてかしていて、つんつるてんの汚れた服を着て、ばさばさに乱雑に切った短い髪をしていた。冬でも妙に薄着のことがあり、下駄履きのこともあった。私たちは、彼女が出てくると、お化けが出てきたように興奮し、囃し立てた。それはたしかに青大将が道を横切ったときの感じと似ていた。私たちはたしかに彼女を恐怖していたのだろうし、同時に強烈に不安を感じていたのだろう。青大将をひとりでいるときに見つけたら、恐ろしくて見なかったことにして逃げるくせに、みんなでいるときに見つけたらとにかく異様な熱気のなかでその蛇がのたうちまわって死ぬまで痛めつけるしかない。同じように、自分がひとりでいるときにきいやんが現れたら、見ないふりをして遠ざかるくせに、みんなでいるときに彼女が出てくると、私たちはある種サディスティクに彼女を大声でかまい続けた?それは彼女が蔑むべく存在、賎しく気持ち悪いバカであるから、当然のことだった。そうすると、きいやんは、獣のような声をあげた。私たちは怖くなって、でも怖くなったことを認めないままに、その場を離れるのだった。
 きいやんが言葉を発したのを聞いたことはなかった。でも、きいやんが赤ん坊を背負っている姿も見たことがあるから、まるっきりわけのわからない行動をとっていたのでもないと思う。ただ私が体験していたのは、なんともいえない、恐怖と嫌悪と好奇心だった。
 「はあちゃん」というもう少し違ったタイプの、やっぱり当時の私からするとちょっと変な子どもいた。でもこの子はどこの家の子かわかっていたし、知り合いの子の兄だったから、突然に出現する蛇のような感じではなかった。はあちゃんは単に頭が足りないだけで、でも気のいい子だった。ときどきわけのわからないことをやるので驚くこともあったが、異形ではなかった。きいやんのもつ恐ろしさはなかった。きいやんと、はあちゃんは、まったく違ったものだった。
 こうしてきいやんにまつわることを考えると、私はきいやんについて、何の情報も持っていないことに気づく。
 きいやんの家庭や生い立ちについては何も知らない。その小さな町のどの辺に住んでいたかさえ知らない。そういうことを両親に尋ねた記憶もない。そして驚くべきことに、いまきいちゃんのことを思い浮かべようとすると、自分がきいやんの姿を全体的には思い浮かべられないことに気づく。てかてかとした頬、ざんぎりのような髪、素足の下駄履き、夕暮れに突っ立っていた危うげな姿勢、そういったつながりのないアイテムを浮かべることができるにすぎない。そうしたものはばらばらであり、円滑にまとまった全体を構成していないので。そして何より、人が人間として誰かを思い浮かべるときにその人の代表として表象する顔というものを、きいやんについては思い浮かべることができないのだ。私はきいやんを、まとまったひとりの人物として体験していなかったのかもしれない。
 おそらく、あまりの恐怖、というよりおぞましさによって私の表象を生み出す機能、思考する機能が寸断され、ばらばらの心像しか記憶することができなかったのだろう。私にとって、きいやんという存在を考えたり、思い浮かべたりすることは、とてもではなく苦痛であり、不安をかき立てることだったのだと思う。だからこそ私は考える代わりに彼女をいじめ、迫害し、彼女から距離をとろうとしていた。たんなる「バカ」「おかしなやつ」という結論を出して軽蔑し、それ以上、考える必要のないものだということにしようとしていた。〜

 きいやんは、おそらくなんらかの障害があった子どもとして育ち、当時、おそらく十代後半になっていたのだろうが、普通に言語を使用する水準に達していなかったようだ。いまの私からすれば、精神遅滞のカテゴリーに入る子どもだったのだと思う。広い意味で病気である。だから、現代の標準的な道徳というか倫理からすれば、そういう彼女を軽蔑したり、賤しいものだと考えて排除したり、差別したりすることはよくないことである。彼女には何の責任もないことなのであるから、彼女を蔑視したりすることは彼女に対してフェアじゃないし、人間としてはならないことだ。そういうふうに考えるのがふつうなのだろう。
 それはたしかにそうだろう。だがそれは果たして、どれくらいリアルなことなのだろうか。
 きいやんのありように精神医学的な病気として名前を与え、そうした保護や温情を与えられるべきだという考えは、近代の考えである。それは精神医学というものが人間のこころのありかたに、ある強力な解釈を与えたことにもとづいている。それは、人間の主体的努力を超えたところに「病気」というものが脳を座として存在する、ということである。そうした「病気」をもつ個人をある種「特別扱い」すること、というより、たんなる特別「扱い」ではなく、特別なものとして認識すること、そうしたことが精神医学によって社会に持ち込まれたのである。私もひとりの精神科医であり、精神医学の担い手であるから、そうした機能を社会から期待されているともいえる。病気というものはある種の社会から許されたアジールであり、苦しみを代償にしてある種の権利を獲得できるものなのである。そのようにして、障害は囲い込まれるのであり、私も医者としてそれに寄与しているのだ。
 きいやんの家は、はあちゃんの家ほどゆとりがなく、障害を持つ彼女に対して保護的であることが難しかったのであろう。彼女はその「障害」をときどき、私の郷里の町の地域社会に剥き出しに露出した。その事情は、はあちゃんとは違う。はあちゃんは、ときどき、異物として私たちの意識に突出してくることがないわけではなかったが、仲間うちでおおむいたわられ、特別扱いされていたし、劣ってはいるが愛すべき存在として扱われていた。家族からもかわいそうな子どもとして保護されていたように感じられる。はあちゃんは囲い込まれていた。
 しかし、きいやんはそうではない。子守りまでさせられていたし、何か完全に剥き出しの感じがあった。彼女が剥き出しになって現われたとき、少なくとも子どもの私にとっては、彼女は異物であり、異形のものだった。私はおののき、圧倒された。私たちは彼女をよってたかってからかいいじめて迫害することで、なんとかこころの均衡を保った。そして、蔑みという形で自分のやったことを合理化していた。〜

職業柄経験するのは、知的な障害や精神病を持つ人たちが私たちにもたらす異物感、了解不能性、ある種の不安や困難の感覚は想像以上のものだということである。その強度を否認してごまかしていてはいい臨床はできない。嘘になってしまうからである。もちろんそれに圧倒されてもだめである。私たちの仕事はその間で生き続けることである。 
 そこで出会う可能性があるのは、ほんとうのところ言葉で表すことのできない、剥き出しの現実なのであり、「考えられない」ものである。それはビオンという分析家が「名付けようのない恐怖(nameless dread)」と呼んだものであり、それは私にとって「きいやん体験」に代表されるものである。私はかつてきいやんに出会ったときに対処できなかったものに、いま精神分析という文化を媒介にして自分の職業的な営みのなかでなんとか向き合い、それを生き延びようとしている。そうした文化的な媒介項を導入することが私たちがなんとか「人間の自然」を取扱い可能にするひとつ方法なのである。そうした文化の枠組みがなければ、「人間の自然」は私たちを圧倒し、その結果として私たちは現実から大きく逸れることで安全を確保するしかない。私たちは気が狂うのである。
 彼らと出会うことがなぜそれほどまでに私たちをおびえさせるのか、そのことを考えてみると、結局、私たちの内部にある「人間の自然」、いつもは完璧に自分から隔てている自分の「きいやん」の部分が呼び起こされてしまうからなのだと思われる。きいやんがあれほど怖かったのは、きいやんが怖かったのではない。きいやんが私たちの内部にいるからなのだ。私たちがさまざまなやり方で囲い込んできた「人間の自然」というものとどうしても向き合わないといけなくなるからだ。 
 私たちは彼らを見ると人間的な温情や親切心を発揮して囲い込みたくなる。彼らを劣っているということに囲い込まなければ、私たちのこころのなかの「人間の自然」が呼び起こされるからである。きいやんは囲い込んではあちゃんにする必要がある。
 私たちがそうしたものを囲い込むことは、養育的な関係性のなかでなされる。というより、私たちが剥き出しの「自然」を考えられ、対処できる形のものにしていくことが、育児の目的なのである。人間の育児が普通の哺乳動物の育児より手間がかかり、時間がかかるのは、人間の育児がこのような目的でなされるからであり、単に栄養を与え、知識や情報を学習させればいいというようなものではないからである。
 きいやんをはあちゃんにするには、誰かが養育しなければいけない。そのとき私たちはきいやんを下に見て保護することができる。つまり、ある意味、じぶんよりも劣っているし、弱いし、小さいものとして認識する必要があるのだ。そのように人を認識するときに感じる、「かわいい」「愛らしい」ものへの「よしよしよし」というような気持ちは、蔑みや嘲りと隣り合わせである。そしてそのような関係性のなかで、劣った弱く小さいものの側が懐く感情が甘えである。甘えは満たされているときには、きわめて潜在的なものにとどまり、ほとんど自覚しないこともありえるだろう。
 友人同士でも恋人同士でも親密になると、「あいつばかだよなあ」とか「あの人ってほんとかわいい」などと言う。そこには相手を小さく弱く劣ったものとみること、蔑むことの要素が存在する。考えることのできない「人間の自然」、きいやんは、いったん小さいものを劣ったものと見ることによってはあちゃんに変えることが必要なのである。そのときはあちゃんが甘えてくれることによって、彼は無害で取り扱い可能なものになる。
 そのように囲い込むことさえできないようなときには、蔑みもまた剥き出しの形になり、私たちがきいやんに対して取ったときのように、攻撃と排除というふるまいの根拠となる。蔑みによって私たちは自分の攻撃性を合理化し、ようやくおぞましい「人間の自然」と距離をとることができるのである。それは緊急避難であり、なけなしの防衛手段である。 
あまりにも「道徳的」で、人を蔑んだり、嘲ったり、差別したり、排除したりすることが禁止されている場所が危険だと私が感じるのは、そこではそうした感情やふるまいを「ないこと」として扱う可能性があるからである。これまで私は、そうした感情が「人間の自然」という人間にとって強烈で圧倒的なものから人間を保護するときに、きわめて重要な役割を果たしていることを書いてきた。そうしたものなしで私たちは、この世の普通の人間であることは不可能なのだ。ある意味で、私たちが誰かを思いやったり、いたわったり、保護したり、ひいては愛したりすることは、この必然的な蔑みと嘲りを超えていくなかで真に達成されるしかないのだろう。蔑みや嘲りを十分に体験し、そのうえでそれを超えていくという過程でしか、私たちは他者の「人間の自然」を囲い込むことはできない。そしてそうしてはじめて、私たちが愛情と呼ぶ生産的なものを体験することも可能になるのだ。 
 人を十分に蔑むことができなければ、愛することもできないのだ。〜