うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

自分の欲しい答えと、『ナリワイ服』と、『修正情動体験の誤った使い方』(患者から学ぶより)

 まあ、色々ある日常ですが、施設関係で色々あると直ぐに理事さんたちに報告し、自分の考えが間違っていないかを確認させて頂く様にしています。
 昨日も、自分が欲しい答えを言って下さる方、第三者的な考えを言って下さる方がいて、当法人は良かったと思っています。
 誰でも、自分が欲しい答えを求めてしまいますし、下記にあるように逆転移を無意識化で行ってしまっていることもあるので、ことに利用者さん達の案件は、気をつけないといけないと思っています。
 本当に理事の皆さん、ご指導ありがとうございました!




一昨日購入した本は、本当は『禅』が目当てではなく(笑)『服から始まる生活革命』を読みたくて買いました。


去年からこの二冊が気になっていて、中身は見せて頂いたのですが、高価なので(自分には(笑))買えないので、少し近いかなとスペクテクターを買いました。

 沖潤子さんの作品は、ピンタレストの方で見る方が自分は好きなのでそちらで満足していると言うのもありますが、BOROの方は欲しいですね。

 色んな場所で、自分が目指している生き方に近い生活を営むというのは、羨ましい限りです。老後はそうありたいなと思いながら、毎日必死で働かせて頂いています。

 この本も欲しい(笑)


 名古屋行きの電車の中で読ませて頂いた箇所(100頁近くありますが(笑))はこれまた、勉強になる箇所ばかりでしたので、小分けにしてアップさせて頂きたいと思っています。


修正情動体験の誤った使い方
 治療者のなかには、患者によりよい体験を供給することができるし、このこと自体が治療的である、と思っている人たちがいます。これは「修正情動体験」というアレキサンダーの考え(Alexander 1954)の
なごりです。しかし、そうすることによって、患者の早期の体験や内的世界と結びついたやり方で治療者を使う分析的な自由をそうした治療者たちは認めそこなっています。たとえば、養育の失敗についての未解決な感情を患者が抱いているときには、治療者が能動的に自分自身を「よりよい」親として提供しようとするなら、それは侵入的(そらしてしまうことであるとともに誘惑的)になってしまします。

 例8・1
ある女性治療者と以前に治療体験をもった女性患者が分析にやってきました。分析を求めるなかで、彼女が持ち出してきた問題は、仕事の上で彼女が好きでない人々と折り合っていくことができないことでした。彼女はソーシャル・ワーカーでした。そして、この難題を彼女が抱えていたのは、とりわけ、彼女のクライエントたちとのあいだでなのでした。彼女は無意識に、怒りをそらしてしまうか、人々が彼女を好きになるように巧みに操っており、このことが彼女がより効果的に働くことができるやり方にまざり込んでいました。

 この患者が以前に治療を始めたとき、彼女は自殺念慮をもつほど抑うつ的でした。暖かくて、勇気を与えてくれる治療者によってとても助けられたと感じて彼女はその治療を終わったのでした。彼女はパーソナルに評価され、尊重されていました。その治療者の勧めによって彼女は仕事を変えてもいました。人々と働くのが上手だと言い含められたのでした。

コメント:これは分析的精神療法とは言えません。しかし、実際に分析的に働いている人たちも、患者へのこの「よい」導きもときには好ましいのではないかと考えているようです。

 その前の治療者は、認められたい、評価されたいとの患者の求めに応じたのですが、それが彼女の小児期の関係において、決定的に出会えていなかったものでした。しかし、のちに、患者は、彼女がその治療者に決して腹を立てなかったことに気づき始めました。それから、彼女は気がついたのですが、治療者に彼女が腹を立て始めたなら、いつでも治療者はこのことをパーソナルに受けとめるか、誰か他の人に関連していることとこの怒りを解釈していったのでした。

 その患者には、彼女の腹立ち、そして、人々が彼女に腹を立てることが常に問題だったのでした。いまや、彼女は彼女自身がクライエントからの怒りの気配をどんなものでもパーソナルに受け止めていたことに気づきました。その結果、彼女は、彼ら自身についてや彼女について、よりよい感情を抱くように彼らに「切に求めて」いたのでした。彼女にはほかにはどうしようもなかったのでした。

 この患者の分析の過程であらわになってきたことは、彼女の早期のあいだがら、とりわけ、彼女がものすごく怒りを感じたあいだがらという点から、彼女が分析家を取り扱うのを妨げない分析家を見出すことが彼女には必要なことでした。彼女が分析家を転移ー使用するのをそらされないことが重要でした。なぜなら、傷つけてしまうものと感情が見なすようになってきていた怒りの感情の受け取り手になることに分析家がもちこたえるかどうかを見出すためにー彼女は彼に怒れるだけ怒ることが必要だったからでした。
 
 彼女の両親は怒りをうまく取り扱えない人たちだったのでした。それが、彼女自身の怒りをなにか悪くて危険なものと感じるようになってしまっていました。そして、彼女の前の治療者はその印象を変わらないままにしてしまいました。明らかに悪いか破壊的であるとの彼女の自己イメージと関係がある、その根底にある問題には行きつくことができなかったのでした。

検討:前の治療者は、彼女が価値のある人物であると感じされる安心づけや元気づけを積極的にすることで、おりにふれ患者の気分がよりよくなるようにしていました。これは、ときに「逆転移性治療」と呼ばれるものを描き出しています。この患者への治療者のパーソナルな感情こそが、彼女を楽にさせたようですし、そうした例では、これは、分析過程によってではなく、カリスマ的な影響という手段によってもたらされましょう。その患者が彼女の治療者のためによくなっている限りは、その恩恵は長く続くものではありませんでした。
 私の見解を述べれば、もし、そのもう一人の治療者がその患者の改善の基底を問う心の中のスーパービジョンを使っていたなら、盲従と患者のもっと難しい感情を「偽りの自己」で抑制することを通して、このことが成し遂げられたその程度に注目することができたでしょう。この種の偽りの回復がありうる可能性に注意しておくことは常に必要です。 

 この例でもうひとつ重要なことは、(好かれたいとの求めを含めているであろう)治療者の逆転移が、対人関係での患者自身の難題と同様のもののようだったことです。このことが、その以前の治療でこの特別な問題に援助を受けたと患者が感じなかった理由だったのだろうと思います。


 夜勤明けなので、おやすみなさい(笑)