うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

Tシャツ一枚刷りました!と、【フロイトとソクラテス】


 おっちゃんの分を試験で刷ってみました。
べた面が多いので、本職の型屋さんに作ってもらった方が、斑が出ませんが、時間がないので、簡易なシルクスクリーンで我慢願います.....。

 後ろと前を入れ替えると親分が言いだしました(笑)前のデザインを一回り小さくして、背中に刷るように変更します。
 胸を音符にするそうです。おっちゃんだけ前面にデカい柄があります!
ギターを下の方で弾くので、ちょうど良い感じで見えそうです。



 今日は休みの予定でしたが、シフトの変更があり、中ぬけの勤務になり、休憩時にマックでコーヒーを飲みながらと、学齢児さんの入浴待ちで本を沢山読ませていただきました。
 知らないことが沢山出て来て、非常に勉強になりました。フロイトソクラテスの翻訳をしていたなんて知らなかった.....。巷で、フロイトの批判をしている方々は、本当にフロイトソクラテスを参考にしていることを知ったうえで批判しているのか?と疑ってしまいました。『ドクサ(思いこみ・偏見)の吟味』というソクラテスの思考は、全ての物に有効で一番大切なことだと思っていましたので、フロイトに惚れ直しました(笑)
 ソクラテスが出ていた箇所をアップさせて頂きました。



《2,解釈》バーナード・バゴーイン  
  精神分析は人間の苦悩に対する一つの応答です。苦悩との関わり方に変化をもたらすことを目的とする介入の仕方は他にもありますが、精神分析はとりわけ、精神医学や医学によって提唱された仕方とは異なって、化学薬品や外科手術ではなく、言葉を用います。しかし、言葉がどのようにしてそのような効果をもたらすのかという事については説明が必要です。フロイトは生涯を通じてこの理論に手を加えるのをやめまぜんでした。言葉は精神分析的状況における基本手段であり、それらを用いて症状とその基礎をなす構造が分析されます。それゆえ言葉が解釈の問いの中心にあることになります。
 分析作業は、分析家に何かをして欲しいと要求し訴える人が、分析家のもとへやってきたときから始まります。この訴えは仕事や恋愛、あるいは両方に関するものであるのが常です。分析主体になろうとしている人はこれまで同じような失敗や苦痛を幾度となく繰り返してきており、変化を求めています。しかし一般に、性愛については自分の意見を変えたくはないのです。彼らが変化して欲しいと望んでいるのは症状です。分析の予備作業の多くは、分析家が分析主体に、症状は分析主体の意見から生じているのであり、一方なしには他方を変えることはできないと納得させることを目的とします。しかし、そのような納得をもたらす分析の過程はどのようなものでしょうか。 精神分析的人間関係は、分析主体がきわめて特徴的な仕方で話すように促されることによって実現されます。つまり、普段ではしないような仕方で話すということです。これに対応させて考えるならば、分析家にとっての契約とは、言われたこと、ほのめかされたことの聴き取りに同意することです。他方で、分析家はこ聴き取りから自分の個人的な関心によって答えることを一切差し控えます。それゆえ精神分析は、変化の媒介項としてきわめて特異な人間関係を、つまり、日常的な人間関係では決してお目にかかることのできない特異な話し方や聴き取り方を提唱することになります。では、それまでは言葉にならなかったものを言うように心がけることで、性に関する意見や性的な幻想はどのように変化するのでしょうか。この問いに答えるためには、フロイトが一九二六年に指摘したように、分析的関係を作り出す素材を築く、独特な話し方について考察しなけれけばなりません。「何ともいえない良い気分」にすることも「ひどい傷を負わせる」こともあり得る、言語という「力強い道具」が、分析上の関係の新しいセッティングに与えられます。フロイトがはじめから固く心に決めていたのは、言葉がいかに作用するかという問題を分析技法の中心に置き続けること、またそうして、人間の魂においては、言葉がどのように働くかという問題のまわりに精神分析の理論と実践のテーマを組織することでした。

 フロイトが直面した問題とは、どのようにして特殊な話し方が意見を変化させるのか、ということでした。ソクラテスの時代に由来するこの問題に対して、古くからの解決方法があります。フロイトはこの解決方法についてよく知っていたのですが、それを明らかにするためにも、人間の魂のなかで言語が毒として機能することについて述べているギリシアの理論を、あらかじめ見ておく必要があります。ソクラテスの探究法の発展に直接先立つ学派は、「弁論家」と名乗っていたグループです。普通彼らは「ソフィスト」という名で知られています。このグループの哲学者たちはプラトンによって悪し様に書き立てられていますが、彼らの仮説の多くはソクラテスによって同意されています。とりわけ、ソフィストのゴルギァスによって書かれたテクストは、言語というのは思考のニュートラルな道具――こういった観点は後にイングランドで広く普及しましたが――ではなく、毒として機能すると主張しています。彼はトロイ戦争をもたらしたヘレネーは有罪であるかについて考察していますが、彼女を擁護するために次のような議論を展開します。すなわち、彼女がそのように行動したのは、すべての人間が服属する二つの要素によって毒されていたからだ、と。その毒というのは、言語という毒と愛という毒です。彼は言います、「話は強大なる支配者であり、その姿は微小で目に見えず、神妙な働きをする」。彼は続けます、「話の力は」身体に「薬物の組成と同様の影響を及ぼす」。ラカンも言うように、人間は言語によって毒されているのであり、言葉を媒介にして欲望をやり取りするよう運命づけられているのです。

 仕事の領域にせよ愛の領域にせよ、人びとは一切の方針を持たずに一つの意見から別の意見へと移行していきます。人間が置かれている境遇はそのようなものなので、そこには何らかの介入が必要になるとソフィストたちは考えます。話の効果が「苦痛を引き起こし……、魂を麻痺させて呪いにかけている」からです。この言語の領野は誕生の瞬間から人びとに影響を及ぼしており、こうして人びとは普遍的な抑うつ的不活性状態に陥っているのですが、これに対して弁論家が見出したのはただ一つの解決法でした。それは、うまく話す弁論家という一つの段階を設けるということでした。弁論家は弁論術の力によって個人とグループを活性化し、彼らに課題を与えて、その生活に方針が欠けてしまわないようにするのです。これに反論してソクラテスは、人びとが混乱し、方針が欠けているという診断には同意するものの、暗示と弁論術の領域にのみ答えが存在するということについては同意しませんでした。ソクラテスが提示した新たな解決法は、新たな話し方が存在すると主張するものであり、それぞれの陣営は強制的な力によってではなく、相手の意見から理に適わない帰結が生じるということを見せ付けることによって、他の陣営の意見を変えさせるということでした。この新たな対話法の目的は、特定の意見に対する愛着を放棄ないしは弱めるよう他人に促すことにあります。

フロイトは一八七九年にソクラテスの対話法の理論のかなりの部分をドイツ語に翻訳しており、少なくとも初期の精神分析的な著作においては、この対話法が構造として機能していると考えていた節があります。フロイトが受けた広範囲の哲学的影響関係――とりわけスコットランド啓蒙主義の影響――に踏み込むことは避けますが、少なくとも初期の精神分析的著作は、ソクラテスの対話法の導入として定式化することができるでしょう。分析家は分析主体に、性に関する特定の意見への愛着を緩めさせようと試みるのです。〜