うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

オイル交換と、ストッレッチ教室と、【匂いの人類学』―鼻は知っているより】


 今日は夜勤明け。早番さんがいたはずが来ませんでした(笑)土曜日の朝は結構大変ですが、なんとか一人でこなして(洗濯物は浴室で乾燥して早朝にたたみましたし、掃除も朝の洗濯も終わらせましたw)9時入りの職員を待っていたら、こちらも10時入り.......。
 ちなみに早番は親分でした.......。みんなの見本にならないといけない方が.....。
おまけにオイル交換まで.......。
 やってしまうからいけないのでしょうか?(笑)




 夜には、彦坂先生のストレッチ教室があったようです!
ひーひー言いながらも皆さん楽しまれていたようです!
 またよろしくお願いいたします!



 タスティンも時間をみつけて読ませて頂きましたが、先日、斜め読みしていた『匂いの人類学』のなかで、いくつか面白い(個人的に)個所があったので、ちょっと一息がてら?アップさせていただきました。
 現場にはあまり関係ないようなあるような.......。



『匂いの人類学』―鼻は知っている
エイヴリー・ギルバート著・勅使河原まゆみ訳
第3章 鼻がきく人たち―無嗅覚症から超嗅力まで
フロイト的自明の理
ジークムント・フロイトは、鼻にはたいして興味がなかった。嗅覚は盲腸と同じ、感覚の痕跡器官だと信じていた。彼の考えでは、人類の祖先が直立二足歩行するようになり、鼻が大地から遠ざかった時点で、嗅覚は退化した。その一方で、フロイトの猿人は性器の露出を恥じ、嫌うようになった。排泄物の悪臭から顔をそむけ、概して嗅覚を抑えるようになった。フロイトにとって、これは文明の出現に不可欠な前提条件だった。嗅覚の抑圧とは、すなわち、野性的な性衝動の抑圧であり、より洗練された行動への転換だったのだ。彼は考えた。子どもの成長は人類の歴史を要約している。胎児の鰓裂が消えるように、乳児が初期に示す匂いへの関心も消えるのだ。彼に師事したなかでも優れたアメリカ人精神分析医のA・A・ブリルがフロイトの見解を要約した。「小さな子どもは誰でもうまく嗅覚を使いこなす。あとで述べるように、成人期までその能力を維持する人もいるが、たいていは、言ってみれば年をとるにつれて、嗅覚能力が落ちる」。正当な精神分析医に言わせると、心理学的に成熟した大人は匂いへの興味を失うが、倒錯者と神経症患者は陶酔状態から抜けられない。
 フロイトによる大半の理論の例に漏れず、彼の嗅覚論を愚かで途方もない話に聞こえないように要約するのは難しい。オリジナルのテキストは、親友であるドイツ人の耳鼻咽喉科医、ヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙のなかの数行と、「文化への不満」のなかのふたつの脚注――歴史学者のピーター・ゲイが、フロイトによる「精神分析の先史時代をめぐる大胆かつきわめて思索的な冒険」と呼んだ理論の一部――のみだ。とはいえ、こうしたフロイトの見解が精神分析理論の基本概念に組み入れられるようになると、より広範な知的世界においても、嗅覚はやはり軽んじられることとなった。
 よく分からないのは、心理学のあらゆる面にセクシャルな見地を見いだしたフロイトが、セックスと嗅覚とかがほぼ無関係だと考えたことだ。性誘引と鼻とはもはや無関係なのか? いまの女は無臭性で、男は女の香りを忘れたのか? あるいは、その逆か?テキサス大学の最近の研究では、男性は、排卵期前後の女性が身につけたTシャツは、そうでない女性が身につけたTシャツよりも心地よくセクシーな匂いがすると答えた。どうやら現代でも、女性は排卵に結びついた匂いの合図を出し、男性はそれに反応しているらしい。これくらいのローテク実験なら、自分たちの理論を検証しようと思えば、フロイトでもブリルでも、一九三〇年のウィーンか一九三二年のニューヨークで試せたはずだった。
 だが、ブリルはフロイトに追従し、一九三二年には、「嗅覚は視覚と異なり、文明化された人間の生活では、ささいな役割しかはたさない」、そして「現代人には嗅覚はほとんど必要ない」と書いている。まわりは文明化された現代人ばかりだというのに、フロイトとブリルは、決して、あえて彼らの意見を求めようとはしなかった。数年前、心理学者のポール・ロジンらが、ようやくこの問題にとりかかった。彼らがおこなったのは、嗅覚、片耳の張力、左足の小指のうちのいずれかを永久に失うとしたら、どれがいちばん受け入れ難いかを順位づけすyるという調査だった。すると、回答者の約半数がいちばん受け入れ難い選択肢として嗅覚を選んだ。ふつうの人はフロイトほど嗅覚に否定的ではないのだ。フロイトはなぜ、簡単な世論調査でふっとばされるような薄っぺらな精神分析的推測をしたのだろうか? 専門家はこれを、何か、そう、フロイト的なものと考える。一方、精神分析医のアニック・ル・ゲレは、フロイトが「フリースに対する感情転移」を「抑圧」した結果であると考える。そして、人類学者のディヴィッド・ハウスは、フリースに対する感情の葛藤が「嗅覚の否定」と「精神分析理論から嗅覚を排除したい」という願望に結びついたと考える。
 私の仮説はもっと単純だ。病歴から考えると、フロイトは嗅覚鈍麻を発症していたのではないか。コカイン摂取による度重なる発作、鼻の手術、インフルエンザ、副鼻腔炎、葉巻、そして加齢が、彼の嗅覚を臨床的に損なったのだ。
一九八九年の春、フロイトは三三歳でインフルエンザに感染した。症状は、その後も彼をしつこい心不整脈で苦しめるほど重かったから、嗅覚に影響がおよんだとしても不思議はない。一八九三年から一九〇〇年のあいだにフリースに送った手紙のなかで、フロイトは、膿汁や痂皮(鼻糞)などの分泌物で鼻が詰まると頻繁に訴えた。どちらも鼻腔炎や副鼻腔炎の症状だ。フロイト片頭痛に苦しめられた。彼はそれを、フリースが処方したコカインを鼻から吸引して治療した。フリースは二度の手術でフロイトの鼻甲介の一部を切除し、一部を焼灼した。そのうえ、フロイト派ヘビースモーカーだった。一九八〇年には、一日にだいたい二〇本の葉巻を吸った。
 一八九七年に嗅覚理論を生み出したときには、フロイトの鼻は、すでに医学的災害激甚地だった。せでにお嗅覚障害があったのだと私は思う。一九三〇年に『文化への不満』を書いたとき、七四歳だった彼は、さらに顎の癌に苦しんでいた。私に言わせれば、嗅覚に対するフロイト知的無関心は感覚遮断――成人期に徐々に発症した嗅覚鈍麻――の結果だった。子どものときには活発な嗅覚が大人にとっては意味がないというばかげた考えは、彼がヴィルヘルム・フリースに対して抱いていた感情とは関係ない。彼は不運な自分の経験を過剰に一般化しただけなのだ。