うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

機材搬入と、String Cheese Incidentと、『精神分析の都/ブエノス・アイレス幻視』より


 今日は、明日使う機材の積み込みや搬入、皆さんとの外食(休みの事業所や水曜日休みの方やショートの方々が日中居られたので)と、外ばかりの仕事でしたが、シフトでは休みの職員さんが出て来てくれ、一人の利用者さんの為に奔走してくれました。
 主体のなさをどう判断・理解していけるか?いくか?が知的や精神に障がいをお持ちの方々の支援にとってのキーワードになっているので、その辺の勉強会ができたらと改めて思いました。
 お休みなのに本当にありがとうございました!

 搬入時に、リハが出来ると喜んで会場に行きましたが、軽く音だししただけだったので、メインボーカルの貴ちゃんはがっかりして帰って来ました......。
 今回は、歪ませたギターも弾くので、シングルコイルとハムバッカーを持って行き、PAの担当者さんに聞いてもらい、ハムバッカーの方にしました。
 アンプとドラムセットだけ置いて来て、ギターは持って帰って来ました(笑)
ドラムセット待ちで、皆さんは歯科通院があったので早く帰られ、自分は遅くなり、喉がイガイガしてきたので、喫茶店に入って、ホットコーヒーを頂いてきましたが、素敵な音楽が流れていたので、マスターに(お若い方でした)聞いたら『String Cheese Incident』と教えてくれ、スキーヤーの集まりで、ライブごとに演奏が違うので追っかけしている人は、全国回るともいっていて、帰宅後、ウィキペディアで調べたら、マスターの情報の方が沢山ありました。ウィキペディアの修正をしてほしいですね(笑)
 今度ユーチューブでじっくり聴いてみます。本当に素敵でした。

 最近、ホットコーヒーを飲むと、口腔内の状態が良いので(歯肉炎など)肩こりを恐れず飲むようにしています。マックやコンビニの100円のが多いですが.....。当たり前か(笑)



 フロイトを読むは、時間がかかっていますので(じっくり調べながら読ませて頂いていますので)表紙がぶかぶかになってきていて、何故か?親分が心配していました(笑)心配するなら、中身を読んでほしい......。
 カバーは外しているので、カバーをつければ新品に見えます(笑)

 我慢できずに、『精神分析の都/ブエノス・アイレス幻視』を少しだけ読ませて頂きましたが、精神分析への思いが一層深まってしまいました。
割愛して序の部分をと思いましたが、全部打ち込んでしまいました。
 是非読んでほしいです!

 ふと思いましたが
マラドーナさんも、精神分析を受けた事があるのでしょうか?
 深い意味はありませんが.......。

精神分析の都・ブエノス・アイレス幻視』
大島 仁著
精神分析の都
 南米アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスは、タンゴの都であるばかりでなく、実は精神分析の隠れたメッカでもある。このことは、知る人ぞ知るところであるが、精神分析のなんたるかをも知らぬたいていの日本人には、ほとんど想像もつかぬことに違いない。南米とは開発途上の世界であり、すべてにおいて遅れたところだと思っているのに、精神分析などという洒落たものが流行っているなどと、誰が思い及ぶだろうか。だが、事実は事実であり、ブエノス・アイレスは精神分析家が多いばかりか、そのお世話になっている人の数も非常に多いのである。フロイト全集の廉価版が町の新聞スタンドでも売られ、ラカンの名前が中流の主婦の口から聞かれる。これはパリ以上のことであり、精神分析の隆盛を誇るニューヨークをも凌ぐのである。
 日本から見て地球の裏側にあるこの都市が、人間精神の「裏側」を掘り下げる解体作業の一大中心地であるとは、なにかにつけて興味深いことである。日本が経済的に発展するためには、岸田秀が指摘したように、自己の裏側に目をつぶる必要があった。それとちょうど正反対になって日本の裏側のこの都市では、精神の裏側をほじくるあまりがいっこうに経済が発展しないどころか、豊富な資源を持て余し、じり貧状態で、自嘲的に「未開発途上国」などと言っているのである。
 周知のごとく、精神分析はウィーンのユダヤフロイトが開発した二十世紀西欧の最大の売り物の一つであるが、それが人々の生活や文化にまで根をおろしたのは、西欧ではなく新大陸である。しかも、その新大陸もほんの一部であり、北はニューヨーク、南はブエノス・アイレスだけと言ってよい。それというのも、このコスモポリタンな二大都市こそは、世界中で最もユダヤ移民が多い地域だからである。
 最近でこそ、精神分析はヨーロッパのインテリの嗜好物の一つとなった観があり、西欧現代思想を理解するにはフロイトを読むことが不可欠とまで言われるようになったが、中流以上の人が一生に一度は精神分析の経験があるなどという現象は、このブエノス・アイレスを除いて他にない。
 そもそも、精神分析は、心の奥にたまった欲求不満や抑圧を言語化していくことで、それらの解消することを目指すものである。無意識のなかに抑圧された自己と、意識の表面にある自己とを、言語を通じて一つに結び合わせる作業、それが精神分析であり、これは神経症の重症者でなくても、ほとんどの人間に有益な作業であろう。この作業には、むろん、人間は決して統一した人格をもって自立した存在ではない、という前提がある。この前提あってこそ、精神分析という人間解体と修復の作業が成り立つわけである。
このような心理的治療法がユダヤ人によって発明されたということは、決して偶然ではない。というのも、マルタ・ロベールやジョン・カディッフィが言うように、フロイトは近代西洋文明に同化しようとしたユダヤ人の一人であり、その同化の過程で生ずる様々な心的葛藤が、彼をして神経症治療の努力に赴かせたからである。ユダヤ人の伝統と近代西欧文明のあいだで、同化を試みるユダヤ人は自己内部に矛盾を見出す。西欧への同化は至上命令であり、そのために伝統は犠牲にされ抑圧される。しかし、この抑圧は多々の心的障害をもたらさずにおれない……。こういう状況にあって、西欧文明への同化をスムーズに進行させるとともに、西欧文明においてユダヤの伝統を復権させる試み、それがたとえば精神分析の理論と実践だったのである。
 このような、あまりにユダヤ的な状況の産物である精神分析が、そのままでは西欧世界で容認されるはずもなかった。フロイトの苦労は、そういう逆境でいかにして精神分析が一つの知としての地位を得るか、ということに費やされたと言える。彼の周到に過ぎるほどの「科学主義」的装置は、そうした苦労のあらわれだと言えよう。
 旧大陸での精神分析への文化上の抵抗は、新大陸ではあまり見られなかった。とくにニューヨークやブエノス・アイレスのように、種々雑多な人種が次から次へと移民して来たような雑居地域では、ユダヤ人だけでなく非ユダヤ人までもが精神分析を喜んで受け入れるという事態が起こったのである。それは、伝統のない自由な新社会には旧社会の偏見がなかったから、ということではない。むしろ、移民やその子孫たちが、旧世界の伝統から離脱した一方で、新世界にも馴染めぬ宙ぶらりんの人間となったこと、その宙ぶらりんの状態が彼らをして言い知れぬ孤独と不安に陥らせた、ということによるのである。精神分析は、そういう社会と伝統を喪失した不安定な個人に、一種の自己構築作業を施すことで、心的安定を与える役目を果たしてきたのである。
 さて、ニューヨークはさておき、ブエノス・アイレスに目を向けるなら、その人口に比しての精神分析家の数の多さに驚かざるを得ない。私個人について言えば、私の住む町の一角は、「フロイト街(villa freud)」と呼ばれるほどに、精神分析かだらけなのである。それだけではない、この都市の文化全体が精神分析ぬきには語れないのだ。映画に演劇、文学や思想さえも、精神分析的な人間観を反映している場合が多い。だから、私がこの試論に「精神分析の都ブエノス・アイレス」という見出しをつけるとしても、それは少しも誇張ではないのである。