うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ぶどう棚?と、「負の能力」と、『オズワルド・エイブリー』(生物と無生物のあいだより)

 


 今日は、日勤で、渥美を2往復させて頂きました。
昼間はうたたねでの支援、夕方はすろーじゃむでの支援で、入浴の準備ですろーじゃむに行ったら、ノースレッドの所にこれは、棚でしょうか?水平コルドンで栽培しようと思っていたので、びっくりしました(笑)適当に(笑)剪定して、春先に杭を打ち、針金を張ろうと思っていますが、この棚が進んでいたらどうしましょうか(笑)まあそれはそれでいいかもですね(笑)
 しかし、理解しがたい形ですね(笑)小学1年生の時に栽培をやらされた朝顔の鉢をなぜか思い出しました(笑)日光を沢山浴びる事が出来るように棚を作るのにな....。と、思ってしまいます(笑)



 最近ハマっているKEXPを昨日見ていたら(聴いていたら?)Warpaint - No Way Out (Live on KEXP)に何故か?「負の能力」を見てしまいました(笑)始まりのドラムのリズムとベースやギターのリズムのフェイクが、Negative capability(ネガティブ ケイパビリティ)「不確かさ・不思議さ・疑いの中にあって、早く事実や理由を掴もうとせず、
そこに居続けられる能力」を感じてしまったのでしょうか?

https://youtu.be/9391iIlcYKs

「負の能力」は、以前アップしましたね!⇒http://d.hatena.ne.jp/ka-gu/20160902/1472796182

こちらも素敵でした⇒https://youtu.be/-PXqJuJW1sg?list=RD-PXqJuJW1sg



生物と無生物のあいだ』も感じる所が沢山ありましたが、今回のエイブリーと次回のウィルスで終わらせて頂く予定です。(勝手にw)
ロックフェラー大学の人々にエイブリーのことを語らせると、そこには不思議な熱が宿る。誰もがエイブリーにノーベル賞が与えられなかったことを科学史上最も不当なことだと語り、ワトソンとクリックはエイブリーの肩に乗った不遜な子供たちに過ぎないとののしる。」と本書にありました。
『研究の質感』の箇所は真実を真に求める人はこんな感覚になるのかな?と思いましたが、自分はまだまだだと、何かを突き付けられた感じになりました......。

『オズワルド・エイブリー』
〜ニューヨークでの研究生活に慣れ始めたある日、研究室のボスが私に教えてくれた。
「シンイチ、この上のフロアーの6階に誰がいたか知っているかい?エイブリーだよ。」
 実験で遅くなった夜、私はらせん階段を一層上がって6階に出てみた。人気のない廊下は静まり返っていた。リノリウムの床が電灯ににぶく照らされている。実験サンプルを収納した冷凍庫だけが低い音を立てていた。エイブリーがここで過ごした最後の日々から四十年以上。それ以降、おそらく廊下も壁も改装されて当時の面影はあるはずもない。それでも私にはエイブリーの影が見えたような気がした。 
 それは、エイブリーがまさにこの廊下を行き来していた頃、ロックフェラー研究所と同じくマンハッタンにあったコロンビア大学・生化学研究室にいたDNA研究者、アーウィン・シャルガフが書いた次のような文章が心のどこかに残っていたからである。

 私はしばしばロックフェラー医学研究所を訪れた。――ときどき廊下の壁ぎわを、薄茶色の実験着をきた年老いたネズミのような影がちょろちょろしているのを見かけた。それがエイブリーであった。(R・J・デュポス『生命科学への道』[柳沢喜一郎訳]岩波現代新書、一九七九.訳者あとがきより)


 〜家族もなく、きわめて単調に見えるかれの生活は、おそらく彼の内部では決してモノトーンではなかった、天に向かって少しずつ高みを増す摩天楼の建設のように、彼も着実に真実に近づいていた。エイブリーの研究テーマは肺炎双球菌の形質転換というものだった。

遺伝子の本体を求めて
 肺炎は今日、抗生物質によって簡単に治療することができるが、エイブリーがロックフェラー研究所に勤務し始めた頃は、この病気にかかって多数の人が死んでいた。治療法もまったくわかっていなかった。医者たちも、患者がなんとか病気に打ち勝って自然に回復するのを祈るしかすべがなかったのである。
 肺炎双球菌は肺炎の病原菌だった。これは単細胞微生物でありウィルスではない。通常の光学顕微鏡でも観察することができる。この菌にはいくつかのタイプがあった。大別すれば、強い病原性を持つS型と、病原性を持たないR型である。S型からはS型の菌が、R型の菌からはR菌が分裂によって増える。つまり菌の性質は遺伝する。
 エイブリーの先達としてイギリスの研究者グリフィスがいた。グリフィスは奇妙なことに気がついていた。病原性のあるS型の菌を加熱によって殺す。これを実験動物に注射しても肺炎は起こらない。当然である。また、病原性のないR型の菌をそのまま実験動物に注射しても肺炎は起こらない。これまた当然である。しかし、死んでいるS型菌と生きているR型菌を混ぜて実験動物に注射すると、なんと肺炎が起こり、動物の体内からは、生きているS型菌が発見されたのだ。これは一体どういうことだろうか。S型菌はたとえ死んでいても、何らかの作用をもたらしR型菌をS型菌に変える能力をもつ、ということである。グリフィスは、この作用がどのようなものかを解明することができなかった。
 エイブリーはこの不思議な現象の原因を突き止めようと考えたのである。S型菌をすりつぶして殺し、菌体内の化学物質を取り出す。それをR型菌に混ぜるとR型菌はS型菌に変化する。エイブリーの実験机には、偉大なる先駆者グリフィスの写真が飾ってあった。エイブリーは菌の性質を変えうる化学物質が一体何であるのか、究明しようとした。
 菌の性質を変える物質。それはとりもなおさず「遺伝子」のことである。彼は遺伝子の化学的本体を見極めるという生物学上最も重要な課題にチャレンジを開始したのだ。しかし慎重で控めなエイブリーはこの物質を遺伝子と呼ばず、形質転換物質と呼んでいた。
 当時、すでに遺伝子の存在とその科学的実体について多くの予測がなされていた。遺伝子は形質に関する大量の情報を担っている。したがってきわめて複雑な高分子構造をしているはずである。細胞に含まれる高分子のうち、複雑なものの第1はタンパク質だ。だから遺伝子は特殊なタンパク質であるに違いない。これが当時の常識だった。エイブリーももちろんそのことを知っていた。しかし、彼の実験データーが示している事実は、遺伝子がタンパク質であるという予測とは違っていた。エイブリーはS型菌からさまざまな物質を取り出し、どれがR型菌をS型菌に変化させているかしらみつぶしに検討していった。その結果、残った候補は、S型菌体に含まれていた酸性の物質、核酸、すなわちDNAであった。
 核酸は高分子ではあるけれど、たった四つの要素だけからなっているある意味で単純な物質だった。だからこそに複雑な情報が含まれているなどとは誰も考えていなかった。今日の私たちは、たとえ0と1という二つの数字だけからでも、複雑な情報が記述でき、むしろそのほうがコンピューターを高速で動かすには好都合だということを知っている。しかし、当時、情報のコード(暗号)化についてそのように考えられる研究者は、少なくとも生物学者にはいなかった。エイブリーも自分の実験結果に半信半疑であった。何度も実験を繰り返し、いろいろな角度から再検討を行った。しかし、結果はただひとつのことを示していた。
 遺伝子の本体はDNAである。