うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

読書とお薄と『クライン派の発展』よりビオンの業績の臨床的意義


今日は遅番なので、ひーひー王子との散歩が済んで、九時まで本を読ませて頂き、来月で年度の半分が終わるので、半期分のまとめをする前に、お薄を頂きました。
 会計事務所さんからは、3か月に一度会計的な報告を頂いていますが、給与計算や配偶者控除などの管理まではしてもらえないので、そちらと労務関係(同じか(笑))の書類をまとめます。
 職員の皆さんには本当に頑張って頂いていますので、給与や時間給を上げたいのですが、103万円や130万円の方々は時間数が減ってしまうので、中々難しいです.....。女性が活躍できる社会!なんて格好良い言葉が流れていますが、その辺をどうにかできないのでしょうか?
福祉を支えてくれている方々はその層の方々が一番多いのでは?と思われるのですが......。言葉や文章だけならだれでも発言できますが、世の中にはそんな方が大半を占め、偉そうにしている輩もその層の奴がおおいと思われますが?自分の勘違いでしょうか(笑)


 短い時間でしたが、『クライン派の発展』を朝読ませて頂いた箇所で印象に残った所をアップさせて頂きます。
転移・逆転移は、何も精神分析家の専売特許ではなく、福祉の現場でもよくあることです。
転移の(その方の)意味を理解できたら、ほぼ支援は成功したと思ってよいのかも知れませんし、過剰な逆転移は、虐待に進む恐れがあります。逆転移はもしかしたら、支援者の転移かも知れないですね。せめて転移・逆転移の理解ができていたら、虐待が激減するのに、あんな大事件が起きなかったのにと思っています......。

第3部 ビオン ビオンの業績の臨床的意義
第2章 集団力動の再検討と想像上の双子
〜「逆転移の経験には、分析家に自分が投影同一化の対象となっている場合とそうでない場合とを識別させるに違いない、全く別個の性質があるように私は思えます。分析家はたとえどんなに気づくのが難しくとも、誰かの空想の中である役割を演じるように操作されていると感じますーあるいは、記憶になくてそうするのはであれば、一時的な洞察の欠如としか私には言えないこと、強い感情を経験しているという感覚、そして同時にこれら感情の存在が客観的状況からも充分に正当化できるという信念[…]」。投影同一化の対象になっているという経験を同定するこれらの基準、すなわち疑われることなく正当化されていると思われる質の情緒経験をしている間の一時的な洞察の喪失は、誰かの空想によって支配されていたという洞察と感情がそのあとに続き、分析家が見境のない自己正当化をするための技法となりかねない、申し分のない科学的器具を作り出します。ポイントは、誰かの空想での役回りを演じるように操作されているという経験、そして報復衝動へと至る不安と屈辱を伴う実感です。
 この概念化により、ビオンは集団での作業と個人での作業とのつながりを説得力のあるものとし、双眼視をこころの機能に役立てたいという望みに実体を与えています。転移を関係性の内側と外側という双方の立場から検討する精神分析の基本的な技法を、洞察を失ったり回復したりする可能性があるというこの認識を通して、しゅうだんにも適応可能にしています。〜

 



軽く転移等について貼っておきます。


フロイトは治療における患者と治療者の間で、いくつかの特徴的な現象が観察されるとしている。
転移
フロイトは、面接過程において、患者が過去に自分にとって重要だった人物(多くは両親)に対して持った感情を、目前の治療者に対して向けるようになるという現象を見いだした。これを転移(Transference)という。
転移は、患者が持っている心理的問題と深い結びつきがあることが観察されたことから、その転移の出所(幼児期の性的生活)を解釈することで、治療的に活用できるとされた。転移の解釈は、精神分析治療の根幹とされている。
逆転移
フロイトは、治療者の側に未解決な心理的問題があった場合、治療場面において、治療者が患者に対して転移を起こしてしまう場合があることを見いだした。これを逆転移(Counter Transference)という。
逆転移は治療の障害になるため排除するべきものであり、治療者は患者の無意識が投映されやすいように、白紙のスクリーンにならなければならないと考えられた。しかし、そうした治療者の中立性に関しては、弟子の中にも異議を唱えたものが多かった(フェレンツィなど)。
現代の精神分析では、逆転移の定義はさらに広げられ、面接中に治療者が抱く感情の全てを含むものになっている。そして、逆転移の中には患者側の病理によって治療者の中に引き起こされる逆転移もあり、そうした逆転移は治療的に活用できるとする考えが主流を占めるようになっている。
抵抗
心理的問題の解決のために治療者のもとを訪れたにもかかわらず、患者が治療過程が進むことを無意識的に拒んでしまうことを抵抗(Resistance)もしくは治療抵抗という。これは、無意識に目を向けることには苦痛が伴うため、自我が自然と無意識の表出を防衛する事によって起こると考えられている。この抵抗を乗り越え、いかに無意識を解明するかが、治療過程の重要な局面となる。
退行
高度に発達した精神が、以前に経過してきた地点に回帰する現象を退行(Regression)という。
退行の原因にはいろいろあるが、固着(Fixation)と大きな関係があるとされている。固着はリビドーの相当の量がある発達段階に残されている事を意味するので、固着が強い人ほど内的や外的圧力に容易に屈し、その時点に退行しやすくなり、それだけ自我が脆弱だと言える。健康な人間でも睡眠時、食事、排便時、入浴時などリラックスできる時には軽い退行が起きる。
健康な退行と病的な退行は、その固着点から正常な精神状態に立ち返る事が出来るかどうかで決まる。また、面接過程において自然と精神は未熟な精神の発達段階に退行する事がわかっており、これを治療的退行と呼び、精神分析の治療に欠かせない要素となっている。治療的退行時には患者が平生感じることのない感情や衝動に駆られる事が多い。また動物にも退行が生じることが知られている。
行動における投影性同一視
投影性同一視のひとつの例は、警察に迫害されているという妄想を発展させている妄想型統合失調症者のそれである。すなわち警察に怯える彼は警察官の周囲でコソコソまた不安気に行動し始めるが、それによって警官の嫌疑が増大し、彼を捕まえる理由が何かないかと探し始めることになる。
もっとも頻繁に投影されるのは、投影する人物が受け入れることができない(すなわち「私は間違った行動をしてしまった」や「私は〜に対して性的感情を持っている」)ところの自身に関する、我慢出来ない、苦痛に満ちた、また危険な考えや信念である。あるいはそれは、同様に投影者には知ることが難しいような価値や評価のある考えかもしれない。投影性同一視は ごく早期のまたは原初的な心理作用であると見られていて、より原初的な防衛機制のひとつであると理解されている。けれども同様に、共感や洞察のようなより成熟した心理作用の基盤であるとも考えられている。
その著書「精神分析的診断」において、ナンシー・マックウィリアムズは、投影性同一視は投影(自らの感情や思考や動機を他人になすりつける)と摂取(他人の感情や動機や思考を取り込む)の要素を合成していると指摘している。投影性同一視は、ある意味、投影現実を作り出すことによって自己の投影を有効化している。
この防衛の利点とはこういう事である。投影される経験を他者の内に惹起することによって、人は投影内容が自己の経験の一部であるという現実をより回避できるのだ。例えば、セラピストに対して受け入れがたい性的感情を持つ精神療法患者は非常に誘惑的な態度で振舞うかもしれない。一旦セラピストが魅了され始めると、魅力に背くセラピスト側のあらゆる振る舞いは、患者がセラピストの感情や態度に焦点を絞るための手助けになるだろう。これは患者が彼あるいは彼女自身の性的衝動に注意を向けることを防ぎ止め、従ってそれらを自覚の外に追い出すであろう。
似たような防衛機能は、一方のパートナーが他方の投影された相貌を携えていて、「投影性同一視を通し関係の中で感情労働の分業が存在していた」環境のように、日常のコミュニケーションで見られるかもしれない。その成り行きは「投影性同一視はしばしば傷ついたカップルの主要な苦悩である。各々は、相手の最も理想的な、恐ろしい、また原初的な相貌を双方の狂気を駆り立てるようなやり方で演ずる」となる。 
精神療法における投影性同一視
また一方、転移・逆転移と同様に、投影性同一視は個人間の混乱の起源としてだけではなく、治療上の理解への潜在的キーとしても機能しうる。事実として精神力動的な研究では年月を経て次第に広範に認められるようになってきている。
従って例えば交流分析では、投影性同一視は「ある人の『大人』が閉鎖される時に催眠導入力を持つ」と見られうるが、投影者の筋書きによるドラマに受容者を引き入れることで、同じプロセスが等しく「もしセラピストの『大人』が損なわれてないならば非常に有用な情報を提供する」。
対象関係論でも同様に、投影性同一視が「感情的コミュニケーションの一形式として使われている」ように見えるので、「投影性同一視は処理できない感情を無意識に取り除こうとするかもしれないが、感情を手助けする働きもする」ということを受け入れるようになった。結果として、「患者自身の望まぬ相貌、著しくネガティヴな相貌の相当長い期間にわたる投影性同一視の容認と閉じ込め」に対するセラピストの受容能力は有価値で本質的な治療資源であると考えられている。
さらなる発展と課題
クライン初期の定式化にある深みの幾分かは、おそらくは必ずしもぴったり相応の形式でないとしても、後にコンセプトが発展させられた様式の多様さの中に見られうる。(『同一視について』(1955)内においてだが、クラインは別のありうべき投影性同一視の型をほのめかしている。つまり、目的が他の(通常は目上の)対象の身体に「居住すること」で幻想を代理的に実現しようとすることである場合)。
クライン派のW.R.ビオンは初期に通常の投影性同一視と「病的な投影性同一視....投影される部分が微細な諸断片へとバラバラに分解されたり、これら対象の内に投影される微細な諸断片がそれであるような」の重要な区別を創出した。
「捕捉型投影性同一視...彼らがナポレオンであると信ずるような人の場合」が一方で、もう一方に「帰属型投影性同一視...(誰かに)取り込ませる、またある意味でその投影に『なる』」を置く、別の区別も創出された。
さらにローゼンフェルドは3種の投影性同一視を識別した。彼は「コミュニケーションに対して使われる投影性同一視と自己の望ましくない部分を取り除くために使われる投影性同一視を区別した。彼は以下の第三番目の使用を加える...分析者の心身をコントロールしようとする(した)場合。オグデンにおいては四要素の区分を作る。つまり、「投影性同一視とは...同時に、防衛のひとつの型であり、コミュニケーションのひとつの様式であり、対象関係の原初的形式であり、心理的変容のひとつの経路である」。
上記定式化のほとんどは、相反しているというより、重複的あるいは補完的に見えるだろう。しかしながら、外部対象への投影性同一視に関してと「自己自身の心の諸部分への投影性同一視」に関しての両方について考える人々と、そうしない人々の間に、より幅の広いまたおそらく相容れない裂け目があるように見える。「ここにおける核心問題は、実在する、投影の影響下にある外的他者が、この概念の本質的要素であるかどうかなのだ。英国のクライン派はNOと答え、アメリカの解釈者達はYESと答える」。
投影
心理学における投影(とうえい)とは、自己の悪い面を認めたくないとき、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きを言う。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。

投影は日常生活においてよく起こっている。例えば、なんとなく嫌いだった人物が、実は自分の否定的な、認めたくない面を体現していたなどである。またこの概念はパーソナリティ障害の治療において、医者に向けられる怒りとして専門的に語られることもある(精神分析における対象関係論の投影同一視)。統合失調症における迫害妄想との関連も語られている。

ユング心理学では、元型の一つ影 (Schatten) とも関連し、否定するのではなくそれを自分の一面として認識し受容することで、もっと大きな「大いなる自己」・自己実現へと成長するきっかけとして活かすことができると言う。



 台風の影響で風が強くなってきましたね!
大きな被害が出なかったらと思っていますが、大きな台風ですね.......。

 今から出勤です。