一日遅れのバースデイ・プレゼントと『「甘え」の構造』と『美と宗教の発見』梅原猛著作集3(集英社)自序とはしがきより
一日遅れで(笑)誕生日のプレゼントを頂きました(笑)
本は2冊で500円ですが、大好きな梅原猛先生の著作集の2冊と500円の50%引きで250円のシャツです(笑)親分らしいですね(笑)自分が着ている服はいつもこんなもんです(笑)
一番最初に働かせて頂いた施設の女性利用者さんからは、昨夜メールが届き、辞めてから10年も経つのに嬉しい限りです。それが一番感動したプレゼントでした!
出先で『美と宗教の発見』を少しだけ読ませて頂きましたが、『クライン派の発展』を読み疲れたら(精神分析の本は我慢強く端から端まで調べながら読ませて頂いています)今は土井健郎先生の『「甘え」の構造』を何度目かですが読ませて頂いていて、『〜私は一九五二年に帰国したが、その後私自身の眼と耳で日本人の日本人たる所以を明らかにしたいと思うようになった。したがって患者を見る場合でも、アメリカ人の患者とどこが違うのかを絶えず考えた。そのために私は、彼らがどういう言葉で自分の状態を訴えるかに注目し、またそれをどう記載することが日本語として正確かという点に心を砕いた。このことは精神科医として当然なことと思われるかもしれないが、実は当然ではなかったのである。というのは従来日本の医者は、患者の話を聞いてその要点を限られたドイツ語で記載することが習慣になっていたからである。ドイツ語としては極く日常的な語も、日本の医者にかかるとほとんど学術用語同然の扱いを受けた。またドイツ語にならないものは当然切って捨てられねばならなかった。このような傾向は実は精神医学に限らず、他の専門分野にも見られ、私は常々それを奇異なことに思っていたのであるが、アメリカに渡って彼の国の精神科医が自国の言葉で患者のいうところを記載し、また自国の言葉で患者の病理について考察を進めているのを見て、こうでなくちゃいけないと思った、したがって私も日本人の患者を見る以上は、日本語で記載し、日本語で物を考えるようにしようと、かたく決心したのである〜』 長くなりましたが、こちらと下記の梅原猛先生の文章が、同じ意味だったので、少し驚きました(笑)(読んでいたのが、同じ日という事だけで.....)
本当に物事に真剣に関わっておられる方々の文章や言葉には感じることが沢山あり、勉強にも日々の自分の態度や考え方に反省を促してくれます。
両方とも、数十年前に書かれたのに、未だ同じような試みが続けられている観もありますが......。
〜しかし、この頃から、ユニバーサルな笑い論、感情論の構築がはなはだ困難であることを感じ、一般的な笑いや感情より、日本人の笑いや感情を明らかにしようとしたが、日本人の笑いや感情を明らかにするには日本の宗教や文学の研究が必要欠くべからざるものであることを感じていた。
従ってこの処女著作は、長年の研究の結果であるより、むしろ転向の決意書なのである。正直にいうと、今この転向の決意書を読み直すと、それはあまりにも若いという感想をいだかざるをえないのである。
その若さとは、一つには、未熟さの形で出ているのである。今の私の到達した思想的視点から見ると、この時代の私には、日本の思想の全体的状況がよく見えていないといわざるをえない。暗い世界の中で、一筋の明かりを見つめて、ここに光がある、この光をさがせ、と大声にわめいている感がある。
その若さはまた、ここではいささか気負いすぎたポレミイクな形であらわれている。鈴木大拙、和辻哲郎、丸山真男、柳宗悦など、いずれも一流の日本文化研究者であるが、若き日の私は、彼等によって照らされた光はニセの光であり、まだ日本思想や日本文化の研究には巨大な闇があり、その闇によって照らすことがお前の義務である、と自らに言い聞かせているのである。鈴木大拙、和辻哲郎、丸山真男という、この偉大な思想家に対する容赦のないポレミイクは、多くのひとびとをおどろかせ、私を有名にさせると共に孤独にさせたが、今読み返してみると、それは、ポレミイクのものがねらいであるより、私自身を、もうどうにも帰ることが出来ない、危険な、否定と創造の世界に追いやろうとする無意識の意志が働いているような気がする。
金の行動に先立って銀の言葉をなげるのがツァトゥストラの生き方であるとニーチェはいうが、私は、銀の言葉を投げて私自身の生命を緊張させ、金の思想を掘り出そうとしたのではないか。
はしがき
〜明治以来百年の間、日本の知識人の努力は主にヨーロッパ文化を移入することにその重点がおかれていた。このようなわれわれの先人たちの血のにじむ努力により日本の文化は今日の水準となった。しかしいまや移入の時代はすみ、創造の時代がきている。ヨーロッパ文化とちがった新しい文化を創造すること、そのために明治以前のわれわれの祖先が営々としてその移入に努力した東洋文化の伝統を正しく理解し、己の文化の性格について深く思索することが必要である。