以前の投げ入れと、【分析家の役割は理解することによって反復強迫を緩和することである。この点では状況は大人との分析と似ている。】
古い写真を整理していたら、以前玄関に投げ入れた写真が沢山出てきました。
最近はめっきり投げ入れなくなっていましたので、また始めようと思いました。
チャリティーに出してなくなったものもありますが(笑)。
施設の消毒用アルコールは、まだありますが、どんな状況になっているのか?気になってネットで調べたら、コンビニでつい最近まで売っていた手ピカジェルが2つで5,400円って.......。そんな中、下記のニュースもあり、
山王商店街にあった張り紙を思い出しました。そんなことをやっている連中が、日本人でないことを願いたいですが、いつから日本はこんな国になってしまったのでしょうか?やはり偏った道徳教育のせいでしょうか?助け合う精神はどこに行ったのでしょうか?なんか悲しくなる情報が一杯です.......。本当に困ったときにこそ、人間の本性が出るのではないでしょうか?
今回も、スィーガルからです。言葉を使えない方の支援に、大きなヒントを与えてくれますね。
皆さん評価しませんが、やはり言語よりも動きというか遊びの中に、その人の心の中が現れるのではないでしょうか?あんたのとこは、遊びやからと(笑)、大分前に言われたことがまだ?しつこく?(笑)自分の心の中に残っています。遊び上等じゃないか!遊びを知らないやつに新しいことを生み出す能力があるとは思えませんが!
〜分析家の役割は理解することによって反復強迫を緩和することである。この点では状況は大人との分析と似ている。
だが、大人の分析家は言葉による解釈だけを使うので、反復強迫でのパートナーになってしまうことはより少ない。
ところが、子どもの分析家の役目は技法上はより難しい。なぜなら、分析家はその子どものパターンを理解するために子どものゲームに加わらねばならないのだが、そうすることが反復強迫にパートナーになったり、その片棒を担いでしまう危険を高める。
私たちは解釈への患者の反応だけでなく、私たちの振舞いに対しての患者の反応を私たちは常によく見ておかねばならない。〜