うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

正月飾り第2弾?と、散歩と、竹内敏晴の仕事Ⅱ


 昼の散歩の途中でいい素材が見つかったので、施設の正月飾り第2弾を作ってみました。何日持つでしょうか?


今日も快晴で、放射冷却等なく、暖かくて汗ばむくらいでした。
昨日は11km,今日は12km歩くことが出来ましたが、毎日これくらい歩きたいですね!程よい疲れが神経まで癒してくれます。


 予告通りに昨日の続きを貼らせて頂きます。引用元も同じですが、本当に障がいをお持ちの方々の支援に一番大事な事を教えて頂いた気がしました。
 林竹二先生の『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』は何度も読ませて頂きましたし、『学こと 変わること』はいまだに肌身離さず持っています。

 竹内敏晴の仕事・からだとことば(平成国際大学論集 第15号 岡野浩史より)

 〜林竹二にとって小学校の場は、林の妻に寄れば、「桃源郷」だった。
 林竹二は湊川高校でも同様の事業を試みようとする。湊川高校は定時制高校で生徒のかなりは被差別部落出身者と在日朝鮮人である。生徒の多くが社会の底辺で貧困と差別にあえぐ者たちであり、「教育困難校」の最先端のようなところである。彼らは、たとえば教師が権威で押さえつけようとしたときにどのような反応を示すか。竹内敏晴は斉藤善博が湊川高校で体育の授業をしたときのことを語った記録を「からだ=魂のドラマ」(藤原書店)に収録している。斉藤善博は教育界に身を置くなら知らぬ者はない伝説的な名教師である。その斉藤が湊川の生徒たちに剣道場で行進を練習させる。それがあまり気に入らない生徒がいて「何でこんな幼稚園みたいなことやらせるんや」とぶつぶつ言う。それを聞いて斉藤は行進がちゃんとできるこということは大切なことなのだと言い、さらに「これは非常に大事なことであって、例えば、東京大学で自分が授業をする時でも、東大卒業一番という秀れた先生なんかもいるけれども、みんなと同じようにそうやって、一二、一二って歩くんだ」と続けると、とたんに生徒は全員動くのをやめてしまった。斉藤が何を言っても動かない。最初から授業を拒否していた一人の女生徒は「あんた、そんなにえらい先生なんか、もう二度と来んでくれ」と叩きつけるように言い、また男子生徒にひとりは「スリッパを入口のところに揃えて、どうぞと言った」という。これが湊川高校の生徒たちである。
 林竹二は竹内敏晴と組んで湊川の生徒たちに向かう。竹内敏晴は「話しかけのレッスン」をする。そして林竹二は授業をする。そこで林は初めて義務教育からさえ切り捨てられている生徒たちに出会う。その姿は無残だった。ここでの授業は「桃源郷」はなかった。
のっぴきならない、切るか、切られるかの真剣勝負の場だった。しかし、林言うところの「学ぶことへのはげしい飢渇」から生み出される、生徒たちの集中の深さ、林に突きつける質問の鋭さはそれまでに経験したことがないものだった。林は必死に授業をする。生徒たちは林を受け入れた。林はそれを実感する。そして70歳のときに初めて授業を行ってから79歳で死ぬ時まで、仙台から神戸へ林竹二は繰り返し足を運び授業をする。〜
〜なぜ林竹二は何度も湊川に行ったのか。竹内敏晴との対談で林は湊川高校での経験について様々なことを語っている。生徒の力によって自分が高みに引き上げられたという旨の興味深い発言もあるが、もっと感慨を込めて語ってのは「ふれあい」である。林は湊川高校での授業ではそれまでにないふれあいがあったと言う。生徒のやさしさに何度も驚かされたと言う。林竹二を死の直前まで湊川に行かせ続けたのは、生徒と教師という関係などを超えた、深い人間的なふれあいだった。〜
湊川高校の生徒たちには都会の観客の教養はない。洗練もない。代わりにあるのは貧困や差別や絶望に苦しみながら、学校や教師に反抗しながら実は学びを求めている。むきだしのからだだけだ。彼らのからだは竹内敏晴の演劇に鋭く反応する。竹内の演劇は、ことばと一体になった役者のからだに無意識を発動させることで演劇の可能性とリアリティの極限を追及する。その演劇に生徒たちのからだは反応する。共感する。〜林竹二は「竹内敏晴にとってのからだはソクラテスにとっての魂である」と喝破した。〜