うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ひらりんの会と、子どもの貧困 当事者の声と、生徒と裸で向き合うこと



 昨日、当法人の理事でもある、ひらりん生前葬ひらりんの会)がありました。自分たちは他の参加者の方々とは、関係性がそんなに深くないのに、参加させて頂くにあったって、申し訳ない思いがありましたが、本当にお世話になったので、参加させて頂きました。
 人望が厚く、沢山の方々が来ておられ、本当に地域に貢献されていたんだなと思うと同時に、こんな凄い方に理事をお願いした、自分たちの世間知らずも反省しました。
 ご自身は、体力的にも大変だったでしょうが、最後まで参加者の皆さんに心配りされ、そういう姿勢は見習わなければいけません。
 病床にあっても、地域のこと気にされていて、頭が上げられない気持ちで一杯でした。
 残りのお時間、ご自身のことも大切にして過ごして下さいと、メッセージカードに書かせて頂き、会場を後にさせて頂きました。
 一緒に演奏させて頂いたテディベア作家のHさんは、平野さんが一番最初のお客さんであり、同じ年齢なので感じる所が、自分より大きかったようです。Hさんは、歌をハモッていて凄いなと思いましたし、一回だけでの練習でほぼ唄えていたのでびっくりしました。
 ネットラジオのDJをするとのことで、こちらも期待です!
皆さん本当に頑張っておられます。



 内容は、本当に近くにおられた方々の発信にお任せしたほうが、良いと思われますので、個人的に一番良かったのは、我が大家さんのスピーチでした。
 感謝状?表彰状?なる物を、カレンダーの裏に達筆で書かれていて、お笑い芸人顔負けのスピーチで読み上げられていました。
 こんな人が大家さんで良かったと思いました(笑)


 地域に貢献されている平野さんの会に参加させて帰宅後、ネットのニュースを見ていたら下記の物がアップされていました。
 ウィニコットのいう『抱える』ということの大切さを改めて感じましたし、林竹二先生の『学こと変わること』も思い出したので、またまた長文になりますが、アップさせて頂きました。福祉職に必要なことだと思っています。


子どもの貧困 当事者の声 あきらめないために必要なもの 湯浅誠2016年8月11日 8時47分配信からの抜粋です。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20160811-00059572/


努力するエンジンがない
久波孝典(くば・たかのり)という若者がいる。現在23歳の大学4年生。
東洋大学の夜間部に通い、現在就活中だ。まだ決まっていない。
彼は小学校5年から高校3年生までを児童養護施設で過ごした。
その彼が、先日開催された「公益財団法人子どもの貧困対策センター・あすのば 一周年の集い」で、興味深いスピーチをした。
「自分には『努力をする』というエンジンが備わっていない」と言うのだ。
彼のスピーチはこうだった。
自分はそもそも「努力をする」というエンジンが備わっていない人間だと思いながら過ごしています。
ずっとその答えを探していましたが、先日ある文献に出会いました。
みなさんは、人間はなぜ努力するのだと思いますか。
その文献には、努力の向こうに、勝利や成功などの対価を得た経験があるからだと書かれていました。
そういった経験があるからその後も努力を積み重ねることができて、そうした良いサイクルに入れる。
私にはあまりそのエンジンが乗っかっていないと思います。
私にそのエンジンが乗っていないのは紛れもなく私自身の責任です。それは言うまでもありません。
ただ、本当は助けてほしかったです。
本当は、同じ学校のクラスメイトのように、こうした社会問題の存在を意識せずに生活したかった。
「進学したい、何かになりたい、あれをやりたい」、そんな純粋な気持ちをまるっきりそのままだけで叶えられるような生活をしたかっ た。
私にそれができなかったのは、ただただ私の責任で、情けないことこの上ないだけのお話なのですが、この「努力できない人間」を、「頑張ることで成功体験を得られなかった人間」を、どうか再生産させないでください。
初めから報われる可能性がないと思い込んでいるから、努力することを思いつきすらしないだけなんです。
私は恥ずかしながら、ただそれだけの想いのために活動に参画させていただいております。
自分は幸せになりたいとか、生きる希望を持つことができれば、それが努力の糧になると思うので、些細な幸せでもいいから、子どもたちがただ純粋に何かを目指そうとすることのできる社会を作っていけたらと思います。
私は野球が好きで、この前イチローがヒットの世界記録を更新した時なんかは、池袋に号外の新聞をもらいに行ったほどなんですけれども、そんな偉業を成し遂げたイチローは以前、こんな言葉を口にしました。
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもない所へたどり着くただ一つの道です」。
私はこの言葉がすごく好きなのですが、でも正直、私もそうしたかった。
純粋に好きなことだけを追いかけていたかった。
イチローの言葉をこんな形で拝借するのは申し訳ないのですが、努力を積み重ねていくそのことだけで、子どもたちが報われていく社会を目指したいと思います。
ご清聴ありがとうございました。



湯浅誠
1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。2008年末の年越し派遣村村長を経て、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、法政大学現代福祉学部教授の他、NHK第一ラジオ「マイあさラジオ」、文化放送大竹まことゴールデンラジオ」レギュラーコメンテーター他。著書に『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日文庫)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。






『学ぶこと変わること』写真集・教育の再生を求めて(林竹二)
Ⅱ 生徒を解き放つ授業とは何か −授業と学問とのかかわりー
生徒と裸で向き合うこと
 私が湊川の子どもたちに出会ったということは、湊川の子どもたちにとっても人間に出会ったという経験だったかもしれませんけど、私にとっては、湊川で「人間」に出会ったという思いが深いのです。
 その出会いがどうして可能になったのかという問題は、竹内さんとの対談の回数を重ねているうちに少しずつわかってきたのですが、やはり人間と人間がまともに向き合うことができたとということだと思います。で、その向き合うことがどうして可能になったかというと、これは説明にも何もならないかもしれませんけど、結局、人間と人間との間をへだてて、ふれ合うことを邪魔するいろんなものがとりのけられた状態が、そこに成立したということになるのでしょうね。
 そのふれ合うのをさまたげるものは何かという問題は、あとでまた考えなければならない。しかし、教師には、そういうものがうんといっぱいあるわけです。

竹内 そうですね。

 そして、ふれ合う必要なども感じていないわけでしょうけれど、この問題はあとでふれます。私が彼らとまともに向き合うことができたのは、私がいわば手ぶらで、裸で彼らの前に立ったせいだろうと思います。鎧だのかぶとに身をかためる必要を感じないで入って行ったわけです。だから、裸で手ぶらであの生徒たちと向き合うことができた。
 彼らの中に入っていくことを可能にしたものは、もし私に学問というものがあるとすれば、その学問は彼らを征服するための道具、彼らを思うままに動かすための道具としてあったならば、これは、彼らと私とを隔てる壁になってしまうわけですね。ところが私にとっては、学問というのはその壁をとり去る力であると思うんです。
 それで私は、自分のなかに、その裸のままの自分をひっさげて、なにも武器をもたないで、鎧かぶとに身をかためないで、そのなかに入っていることを可能にしたものとしての学問というものを考えるわけです。

竹内 ほんとうに、手ぶらってかんじだからなあ、先生は。しかし、福地さんをみていると、この人も裸のままで立っていると思うのです。これも学問の結果かもしれないけど、林先生とは少し違う。なにが違って何が同じなのだろう?……学問とは、こういうことをおれは知っているということではないわけでしょう。

林 
ええ。

竹内 知識をもっているものとしてではなくて……

 それはやはり、基本的には知識をもっているものとしてではなく、知識を求めているものとして入っているわけですよ。私は知識人ではない。

竹内 ソクラテスのいうところの「自分は何も知らないということを知っているものである」という、裸であるということはまず第一にそういうことなんだなあということを、今考えたんですけど。

 ついでにその「裸」に関連していいますと、自分が裸でなければ、相手のなかに裸の姿を見ることはできないわけです。裸の人間をね。鎧をきたら、必ず相手も鎧を着ますから。〜