うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

分裂病は人間的過程であると笹

分裂病は人間的過程である』も、少し読ませて頂いただけで勉強になり、気付く事も沢山あります。それが当たり前の事でも、初心に戻してくれますので、本当にありがたい本です。


分裂病は人間的過程である』
序説〈サリヴァンの散文の文体についてのノート〉より
〜しかし、サリヴァンの思考のもっとも複雑微妙な部分については、サリヴァンは言語そのものの不充分性、不適正、無力性と闘って、因果関係のもっとも単純なものと違う表現をしようとしている。〜
トルストイには、人生に生得的ともいえる、単純な因果を探索しようとすることにみごとな批判がある。

《現象間の結合は人知の理解を超えている。しかし原因を捜す衝動は人間の魂に生得的にある。そして人知は、一箇の現象の条件が揃うために必要な複雑性と多様性さえも途方もなく大きいことを全然さとらないで、任意に一つの情況を分離してその原因と考えられそうだとみると、まず目に留まった、いちばん理解しやすい近似的事象をもぎとって、これが理由だと言う。》

サリヴァンがやめさせたかったやり方はこれであった。サリヴァンは、いかなる状況(対人の場)においても多重フィールドバックで考えていた。すべてのプロセスの重みづけを行うことは不可能である。行動として目に見えるものは終末結果である。サリヴァンが「ベクトル(和)」というものである。(「ベクトル」をつくる)複雑なプロセスの同時性を表現しようとして、止むなく複雑な複合文章を使っている場合がある。そこに色々な従属句がくっついたりするが、サリヴァンのつもりでは、どちがが重要かという重みづけをさけようとしてのことである。〰

〈人としてのハリー・スタック・サリヴァンクララ・トムソン
〜本当に孤りの人でした。幼年時代のもっとも早くからそうでありました。他の子どもはすべて、幼いうちに世を去りました。〜
〜お母様は、自分より低い方と結婚してしまったと思っていらして、愚痴ばかりを仰言る半病人で、見栄えのしない家族の状態に慢性的な鬱憤をお持ちのようでした。〜
〜少年時代の親友は家畜でした。家畜といる時だけ気持ちが和んで、あまり淋しくなかったそうです。遊び仲間は一人もいませんでした。〜
〜患者との関係できわ立っていたのがまじりけのない純粋さと寛容とでしたが、かれの友情もまったく同じ質のものでした。すぐに友だちを作れなかったひとでした。長いテストの時期がありました。この人は競争心が強すぎないだろうかとか、神経症的野心家ではないだろうかとか、嫉妬深い人たちだろうかとか、オポチュニストであるまいかとか。こういう性質は彼の許せないものでした。いったんテストに合格するとハリーには絶対に裏切られないと考えていて大丈夫でした。〜



 序説には、フロイトとの関係も書かれていてサリヴァンの思考の元にも遡れますが、少々専門的なので割愛させて頂きましたが、非常に興味深い文章でした。

 結局は精神科医自身の経験値(生活史)が低いと良い仕事が出来ないという事でしょうか?
 波風のない人生を過ごした人間には精神科医は出来ない様な発言もあったようです。
 北海道でもそうでしたが、自分の人生の負の部分が、現在の仕事に役立つ時が多々あります(笑)




 こちらはお盆過ぎに生けさせて頂いた笹です。
アップの機会がなく埋もれた写真が多いので(笑)今回写真がないので無理やりアップしました!
 こちらは少し涼しくなったので、5日位もちました。

 亡中閑あり!