今朝、二人の職員さんから写メが来ました。一つはツツジ!きれいですね!もう一つは、女子の散歩!韓国の状況を見ていると、油断は禁物ですね!
まずはラジオ体操です!
その後、皆さんとセッション!朝なので、童謡をロック仕立てに(笑)。まっつんは ,キックで参加! 中々迫力がありました!
午後からは、すろージャムに!2台で三密を避けるために行きました。イチゴが沢山出来ていて、摘んで洗って持っていくと、あっという間になくなっていました........。
お風呂が溜るまで、女子が終わるまで、好きな音楽を聴いたり、踊ったり、犬さんと遊んだりしました。
とりあえず、様子見で明日から通所施設に通うので、自粛期間のように、頻繁には来れませんが、機会があれば、来たいと思います。
女子職員さんの差し入れの水鉄砲が、みなさんを盛り上げてしまい(笑)、中々出てくれなくて、少し苦労しました(笑)。
個人的には、悲しいニュース。でも、うたたねセッションでは、彼の魂は生き続けています。今日もロックンロールセッションします!
下記は、難しい個所の続きですが、そういう見方もあるのかと、非常に勉強になりました。部分対象しか見つめることができない時には、そんな考え方もあるのですね。
~このような夢への構えからは、二重写しであることを拒否したヒルマンのまなざしの二つの特徴が示唆される。
一つは、元型的心理学が現前される元型的イメージのみに関心を払い、現前されなく「元型自体について推察することも厳格に拒む」とされるように、そのまなざしは現前されたものにとどまるということである(ヒルマン1985/1993)。
この意味で、ヒルマンのまなざしは表面にとどまるまなざしである。
二つ目は表面にとどまることによって、対象の主体性が発現される点である。
二重写しのまなざしが、現前されたものを他の次元へと還元することで、その主体性を削ぎ落としてしまうのに対して、まなざしが表面にとどまることで、対象はその固有の主体性を保ち続けることができる。
そして、そのような主体性を持った対象が展開していくことに治療的意義が生まれてくる。
美はこのようなまなざしのもとで、心理的療法において見つめられることが可能になる。美が表面に位置するからである。
そして、美を見つめることになった対象の主体性が実感させる、そこに治療的意義が求められることになる。このときに、美を見つめるというありようでの心理療法における美の問題とは、「治療的要因」という問題と密接に結び付いて来ると考えられる。
すなわち、フロイトに代表されるようなこころを「理解」するいうありようとは別のありようとしての「治療的要因」が問題となってくる。~