うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、このまま収束に向かって欲しいと、【 重要なことは、元型的心理学において臨床家が美を遠巻きにしながら理解するのではなく、美と直面し、それを味わい反応していくということである。】

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 今日の散歩は初立池に行きましたが、いつもは人をあまり見かけませんが、他の公園が閉鎖しているので、こちらに流れてくるのは致し方ないですね。こちらに、向かう車中のFMで渥美半島の紹介があり、初立池などの紹介をしていましたが、緊急事態宣言が終わってから行きましょうと言っていましたので、安心しました。せめて、地元の方々が、ソーシャルディスタンスとれるような散歩が出来るようにはして頂きたいですね。すれ違ったのは4名で、みなさんきちんとマスクをされていました。

 

 年度替わりも書類が山積しています。職員配置がきちんと出来ていたので、午後からは事務仕事をさせていただいていました。これからは、Zoomでの講義の準備です。早く通学できるようになってほしいです。そうでないと、ルーチンの中に埋もれてしまいそうです.........。

 

 このまま、収束へと向かって欲しいですね.........。皆さんそうですが、気にすることなく普通の生活が送れるようになってほしいです!

 

www3.nhk.or.jp

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 東畑先生の続きです。相変わらず難しい個所ですが、河合隼雄先生の箱庭を見るときのような心構えが書かれている気がします。

  ルマン(1993/1999)は「イマジネーションの働きに深く関与しているときに、わたくしが行っているのは美的感覚的なこと」と述べた。

  メージに対する態度として、その美的なありようをみつめて、そして反応していくことに重心が置かれたのである。

 のイメージに対して、「性欲」「死と再生」のよって概念に還元していくのではなく、それがいかなる蛇であるかに美的に注意を払い、泥だらけのみすぼらしい蛇であるならば、そのみすぼらしさに反応していくことによって、イメージを展開していくことが元型的心理学では行われる。

 要なことは、元型的心理学において臨床家が美を遠巻きにしながら理解するのではなく、美と直面し、それを味わい、反応していくということである。

  れゆえに理論的にも実践的にも、美は魂と密接に結びつき、元型的心理学の中核に位置することになる。

 れは「理解」を最重視しないという点で、ここまで見てきた古典的理論・対象関係論とは大きく異なる態度であるが、このことを可能にしたまなざしとはいかなるものであろうか。