うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

オードブルと、モーリーロバートソンと、【古典的理論において素朴に対象に向けられていた二重写しのまなざしの焦点は、対象関係論に至って「対象と関係を求める主体」へと九十度転回することとなった。】

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 昨日は、子どもの日でした。差し入れもあったようです。ご馳走ですね!柏餅まで!

 

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 こちらは、一昨日のものです。アップするのを忘れました(笑)。今のところ、皆さん元気で明るく過ごすことが出来、感謝していまし。
 

 

  下記の二つは、本当にそう思うし、今まで勝手なことをしていた欧米が、3Kの中で頑張っていた、否やらされていた、方々をいとも簡単に蹴落としているように感じます。アジアの国々が団結すれば、怖いものなどない気もしますが、それが出来ないのも現実です。もう2昔?3昔くらいになるかもしれませんが『ゾウの時間・ネズミの時間』という本がありましたが、自分の規模をきちんと見てから、きちんとした戦略を練っていかねかればいけませんね。


 自分の支援の軸は、対象関係論ですが、特にそれにこだわっているわけではありません。サリバンやコフートもよく参考にさせて頂いていますし、行動療法的なものもその方に合えば、その中に入れさせて頂いています。軸は軸で持っていたら、応用が利きやすいですね。

 

 上より明らかであるように、古典的理論において素朴に対象に向けられていた二重写しのまなざしの焦点は、対象関係論に至って「対象と関係を求める主体」へと九十度転回することとなった。

 象関係論は二重写しであることはそのままにして、まなざしを転回させる。そのことで、美を通過して「意味」へと至る古典的理論とは異なり、美を体験する主体へと焦点づけることが可能になった。

 れゆえに、対象関係論における美の問題とは、美そのものではなく、あくまで美的体験という主体のありように焦点が合わせられることになり、それを乳幼児の姿として理解するということは、行われることになったと言える。

 

二重写しの、個人的解釈

 部分対象関係は,決して幼少期にだけ見られるものではなく,学齢児や大人でも見られます。成熟するにつれ,全体対象関係が発達し優勢になっていくが,大きくなっても部分対象関係が色濃く残っている場合もある。
 つまり「幼さ」とは,部分対象関係が優勢であると理解することもできる。これはパーソナリティ障害の人に特徴的なもので,パーソナリティ障害の人は部分対象関係に陥りやすい。